「やれザックはミレーだ、ピッケルはシャルレだと道具だけにこだわるだけでなく、まずは身体と登山の技術を鍛錬することが肝要である」
おおよそこのようなことが実家の本棚に並ぶ40年ほど前の山岳雑誌に書かれていた。当時のヨーロッパ製の山道具は高嶺の花。当時の大卒初任給は11万円程度で、ミレーのザックは小型でも2万円以上したらしい。新入社員ならちょっといい山道具を揃えるにはボーナスまで待たなくてはならなかった。
高いものだから憧れる。高値は高嶺の異名である。
「ヘルメットと言えばガリビエールですよね」
冬の七丈小屋で会った五十代の男性は持参したウィスキーでほろ酔いになりながら、隣にいる同年輩の男性に同意を求めた。隣のおじさんは黙って頷いている。
「あれ被るとみんなが工事現場用ヘルメットって言うんですよ」
私は写真でしか見たことはないが、確かにお釜型の工事現場用タイプだ。かつてはこれも高級品だったらしい。今ヘルメットは1万円前後。当時は食費を削って貧乏山屋は買おうとした。
隣にいた同行の女性が可笑しいような困ったような笑みを私に向けた。
「サングラスはレイバンに憧れてですね。リチャード・ギアがかけていたような大きなやつ」
昔の憧れというものから離れられないようだ。「これこれ」と言って取り出したサングラスはアメリカ空軍といったグラスは大ぶり、ツルはやけに小ぶりでクラシカルなものだった。「こうです」とかけるが周囲にいた3人はやや失笑。決しておかしくはないが、白髪テンパーで四角い顔をしたおじさんはリチャード・ギアにはなれなかった。
おじさんそれにもめげず、「おにいさんみたいなサングラスは似合わないんだよね」と私のオークリーに目を付けた。オークリーはイチロー選手が愛用しているようにいかにもスポーツサングラスといった風情だ。「ちょっと貸して」と言うので素直に貸してみる。一同爆笑。先ほどの大ぶりなレイバンに比べると、デカいトランクからブーメランパンツに履き替えたようだった。
「ザックといえばミレーだった。これは当時2万円もしたんやで」
冒頭の雑誌のように語ったのは父で、「ザックといえばミレーだよね」と年配の人から言われてあえてグレゴリーを買ったのは山の友人であり、私だ。山屋に道具にこだわる人は多い。山道具で生き残るための一つのツールでもあり、こだわることが一つの美学にもなる。
今、山道具に偏執的にこだわる人は少ない気がする。どのメーカーも極端に劣るものは出さない。登山用品店に並ぶものであればどれを選んでも大失敗はない。海外メーカーも極度には高くない。山道具にこだわる人もいるが、安くて良いものの出回る今はネームバリューより実用性にこだわる傾向が高い。
「これはシャルレのピッケル。木の部分に飴色になるまで亜麻油を塗った。謂わば武士の魂や。死んだらこれやるわ」
今は骨董品とも言えるピッケルを時々持ち出しては父が言う。しかし骨董品のわりにはピック部分には錆が目立ち、武士の魂のわりには手入れされていないのだが、当時の山屋の道具への思い入れは今の登山者には想像できないものなのだろう。
山道具考とタイトルを振ってみたが、山道具に対する先人(というと現役の人もいるので失礼だが)たちの思い入れを綴ってしまった。山道具は登山をしない人には意味不明なものが多い。特に積雪期用のアイゼンやピッケルのような金物は一般人からすると凶器で、それを得意げに振り回すのは山屋は狂気に見える。一方の山屋は一般に理解されない道具を大得意で使いこなし、それらの道具に魂が宿ると信じていた。
道具を粗末に扱う私の家からはいつかピッケルやヘルメットの百鬼夜行が出るに違いない。