クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

ドック

ドックといのは船舶のメンテナンス場である。英語では"dockyard"と言うらしい。長距離を航行する船は機関部の定期的なメンテナンスを行い、ドックに入って船底についた牡蠣殻などを除去しなくてはならない。司馬遼太郎坂の上の雲』を読むと、1900年頃のロシアは1年中水面の凍らない不凍港を求めて南下政策を取り、日本と衝突した。このあたりは朝鮮半島情勢や清、満州地域の問題などいろいろ学説があるが割愛する。不凍港というのはドックであり、船はそこで牡蠣殻を落とさないと機能しない。ロシア・バルチック艦隊はろくにドックでの整備もできず、人も船も疲労困憊で地球を半周してやってきた日本海で敗れた。

このように国家の命運をも分けるドックだが、これからするドックは船の話ではない。より一般的なドック、健康診断の方だ。前置きがやたらと長い。

 

初めてエコー検査と受け、バリウムを飲んだ。検査内容が今までのような身長体重と血液検査くらいから一気にグレードアップすると、一気に年を取った気がする。今まで年齢によって不問とされていた部分にチェックのメスが入る。健康診断に行って着替えることそのものが初めてだ。地味で緑ともねずみ色とも言えないトレーナーに身を通すと急に老け込んだ気がして、心なしかウェストも去年より膨らんだような気もする。ある意味でこれまでで一番自分の年齢を意識したかもしれない。

 

人間ドックとは上手く付けた名称だと思う。積年の酷使や不摂生によって身体に付着した牡蠣殻を検査し、場合によっては除去する。重病になって浸水し始める前に予防する。健康至上主義の現代において文句のつけようがない。その一方で日頃の怠惰を断罪する場所でもある。

初体験となったエコー検査。別に検査そのものは何ともないのだが、お腹にジェル状のものを塗られてマウスみたいなものでグリグリされる。結構しつこい。原田宗典さんがエッセイ『スバラ式世界』で死ぬほどこそばいと書いていたが、私はこそばくはなかった。ただ、腹筋やら脇腹やらをしつこくグリグリするから痛い。もう終わりかと思っても「ちょっと横向いて」とか言われてさらにグリグリする。ええ加減にせえ!と言いたいのを我慢しているとようやく終わった。

 

ドックと言っても本格的ではないので大抵の検査は大したことはなかった。ただ、最後に真打とも言える検査が待っていた。

胃の検査ということで呼ばれて検査室に入ると馬鹿でかい板に電車の手すりのようなものが付いた機械があった。検査員は慣れた様子で「これ飲んで。飲んだらゲップしないように」と軽い調子で言う。顆粒の粉末を口に流し込むと、たちまち胃を外から引き伸ばしにかかるような感覚がし、ゲップとともに吐きそうになる。言われた通り我慢するが目を白黒、瞳孔が開きっ放しになる。今度は「はい、バリウム。まずは飲むところを撮るから。半分くらい飲んで」と紙コップを渡される。飲んでみる。原田宗典さんは「砂糖入りの石膏」と表していたが、ゲップのガマン大会で味なんてわかりゃしない。

「はい、今度は全部飲んで!」

検査員は委細構わずリズミカルに呼びかける。

「今度は手すりに掴まって」

言うがままに掴まると硬い板の検査台が倒れる。なかなかアクロバティックだ。少しすると検査員が近寄ってきて「今日水飲んだ?」と訊く。「はぁ、夜中に一杯」と答えると、「バリウム検査の前は一杯でもダメなんだよね。本来ここで中止なんだけど、バリウム飲んじゃったし続けるから」

確か検査注意事項には「朝食と砂糖の入ったものを飲むな」だったような。正確に記憶してなかったので反論のしようもないし、今はゲップ我慢状態という弱みもある。

「台の上で右に二回転して」

検査員の声に従い2回回るが、検査台が硬くて痛い。

「今度は左に二回転」

なんか拷問を受けに来たみたいだ。先の原田さんのエッセイを読んでゲラゲラ笑っていた中学時代。まさか自分がこんな目に遭う日が来るとは思わなかった。その後も右を向いたり、左を向いたり、こんなことするくらいなら100キロマラソンを完走した方がマシと思っているうちに検査は終わった。なんでも水を飲むと胃壁にバリウムが付きにくくなるらしい。そのため通常より余計に回転させられたようだ。

 

全検査は1時間半ほどで終わった。ちょっと呆気なかったようだ。

後日検査結果が返ってきたが、エコー検査で胆嚢に極小ポリープが見つかり経過観察。苦難の胃検査は異常なし。牡蠣殻を取り除くでもなく、とりあえず牡蠣殻を見つけたという結果だった。ちょっとすっきりしない。

ラソンに励んでいた昨年より体重は少し増えたが、肝機能や脂質は昨年より良好。結局身体の微妙な不具合が気になるだけだ。

最後は大人って大変だなぁという子どものような感想のドックだった。