クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

生きる痛み

ある陽光の差す5月の日曜日、私は都心に向かう電車に乗り込んだ。春の日差しがガラスを通して車内の空気を暖め、私は思わず座席でうとうとし始めた。気が付くと列車は終点の新宿に近づいており、閑散としていた車内は人で溢れていた。みんな急に暖かくなった日和に合わせて半袖になっている。

ふと左斜向かいを見るとノンスリーブの若い女性がいた。私はそれを見て「もう春から初夏だな」と思っていたが、次の瞬間その女性の腕に無数の白い筋があることに気が付いた。

 

私がその「筋」を見たのは初めてではない。大学時代に個別指導のアルバイト講師を勤めた際、担当した生徒の腕にそれを見た。

私が当時講師をしていた個別指導塾は県下ではそこそこの規模があり、全部で6つか7つの教室があった。いつもは実家の最寄駅近くにある教室から電話が来るのだが、アルバイトを始めてから半年くらいして、別の教室から電話がかかってきた。そこは通学の途中の駅であったものの、家からは40分ほど離れており、少々面倒ではあった。しかし、特に断る理由も見当たらず引き受けることにした。

確か夏に差し掛かった暑い土曜日だったと思う。初回なのに私は教室のある場所がわからず少し遅刻してしまったが、50歳くらいの教室長は待ってましたとばかりに迎えてくれてこう言った。

「まあ初めてですからね。タイムカードは定時で入れておきましたから。この子は前に不登校になっていて、前に担当した先生とも合わなかったんです」

通常、1人の講師が2人を相手にするが、この子のために私1人を専属にしたという。席に向かうと少しふっくらした、おとなしそうな高校1年生の女の子がその生徒だった。

後で聞けばもう何人もが担当したが、その子が合わないと言うので交代していたらしい。私が見る限りは自己主張などあまりしないような「おとなしい」としか言いようのない普通の高校生だった。一時、不登校になっていたというように学力はさほど高いわけではなかったが、私が言ったことには素直に答えるし、つまらない冗談にも笑ってくれた。

私の何が良かったかはわからないが、拒絶されることもなくしばらく担当することになった。

少し経ったある日、彼女は珍しく半袖を着てきた。それまではいつもチェックの襟付き長袖シャツを着ていたが、なぜだろう。ふと白く出た腕を見ると、たくさんの白い筋があった。最初何かわからなかったが、左手首の内側に集中していたことから察した。リストカットだ。

教室長は「最近は学校行ってる?」など時々その子に聞いていたが、私には彼女のプライベートに踏み込む勇気はなかった。彼女が苦しむ何かを告白されても受け止められるだけの懐の深さはない。

ただ、若い私はさらに若い彼女がただならない苦しみを背負ってきたことを知るばかりだった。

 

栗色の髪の上にお洒落な小さな麦わらの帽子をかぶり、黄色いノンスリーブシャツを着たその女性は非常に端正な顔立ちをしていた。そのルックスからコンプレックスを抱く要素は微塵も見えず、その人がどのような苦しみを背負っているのかはわからなかった。しかし、その人にはその人にしかわからない心の痛みがあって、その痛みを身体に刻まずにいられなかったのは事実のようだ。筋は手首から二の腕の上の方までまんべんなく広がっていた。

リストカットをするほとんどの人に死ぬ意思がないと聞いたことがある。死なずに生きるために傷つける。あの白い筋のように残った傷跡は生きる痛みを示すものだろう。

 

列車は何事もなく新宿駅に着いた。その女性も他の大勢の人々も扉が開くや一斉に動き出した。