クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

バイリンガル

正月に実家へ帰って1年ぶりに弟と会った。去年は半年イタリアの大学で過ごし、南アフリカブルガリアの学会などにも参加したらしい。世界中飛び回ってエンジョイしている。

彼はイタリアへ行ったのを機にイタリア語の勉強を始めたという。語学は彼の趣味で、日本とアメリカの大学で勉強していたので日本語と英語はほとんど何の問題もなく使える。大学時代から独学でドイツ語とフランス語をやっていたので、これらは日常会話以上はできるそうだ。イタリア語は始めたばかりだが、ラテン語系言語は根が同じなので、挨拶やちょっとした会話くらいはできるようになったという。我が弟ながら気味が悪いほどだ。

二ヶ国語ならバイリンガルで、五ヶ国語をしゃべることができる人はペンタリンガル。あまり聞いたことがない。

 

その弟がイタリア滞在中に地下鉄を利用した際、地元のおばさんに話しかけられたことがあった。日本人のオタク系ラガッツォ(イタリア語で「少年」)がポツネンと立っているのが不安に見えたのかもしれない。ただその"ラガッツォ"がイタリア語で話すと途端に彼女は饒舌になった。そのまましばらく見知らぬ者同士話し込んだという。おそらく片言でもイタリア語で話したことがきっかけになったのだろう。

アメリカ留学中はルームシェアした人がフランス語圏の人だったので、会話はフランス語でもやっていたらしい。ある日「君のフランス語は英語よりうまいねぇ」と褒められて、逆に英語は下手なのかとショックを受けていた。

いずれにしても語学が得意なのは大変羨ましい。

 

そんなお前はどうだと言われると英語すらかなり怪しい。趣味で洋書を読むが和訳を併読しないと細かいところがわからない。

大学時代に第二外国語としてやった中国語もお手上げ。漢文は得意だったので何とかなると思ったら、発音がさっぱりわからなかった。

何が得意なんだと言われれば日本語である。そんなことを書いていると「アホか」と殴られそうだ。ただ、出身は関西で今は関東にいて、普段は東京・神奈川言葉で話している。地元に帰れば関西弁だ。一時広島にもいたので、多少の広島弁ならできる。

「これでトライリンガルだ」と言うと人がバカにするだけなので言わない。しかしながら、言語を共有することで生まれる親近感は確かで、特に東京圏内のように他府県民出身者が大半を占める都市はわずかな接点、共通点に頼る傾向にあるように思える。今後外国人が増えればどうなるだろう。

登山に行くと、下界にはない登山者同士の親交がある。同好の士であると同時に登山の話題、「山語」を話す同族という意識が働くからと思われる。

 

話は変わるが、10年ほど前の冬に山形へスキーに行った。その時父親が山形で単身赴任をしていて、そこに遊びに行ったのだ。

夜は雪の積もる道を歩いて焼肉屋に行った。焼肉屋はチェーン店とは違って、普通の民家の座敷に七輪を置いたような店で、客も大半が地元民のようだった。給仕をしてくれるのは80近いのではないかと思われる腰の曲がった女性で、多少耳も遠いのか、客は声を張り上げて注文するというなんともすさまじい店である。

ただ、焼肉は絶品だった。山形牛に辛口でニンニクの効いたタレ。肉は魚のように鮮度を云々言われることは少ないものの、この店では本場の味と感じた(山形牛じゃなかったらどうしよう)。

隣の団体客が去って、少し静かになると件の女性が腰を曲げて空いた席の皿を引き上げに来た。私の側を通り過ぎる途中、彼女は私に向かって何事かの言葉を発した。訛りがきつくて一言も聞き取れなかったが、何となく言っていることは分かった。

「こんなばあさんを『お母さん、お母さん』と呼ぶなんてなぁ」

そう言って皺を寄せて笑って通り過ぎて行った。

1つの単語もわからない言葉を聞き取るのも、また新しい言語を習得したのと同じではないかなと思いながら私はビールを口に含んだ。