クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

えらい肩書き

実家での会話。

私「〇〇さんって常務執行役員だってね」

母「常務執行役員って普通の常務とどっちがえらいの?」

私「別にえらいとかないんじゃない。会社にもよるし」

母「でも常務の方がえらいんでしょ?」

私「いや、執行役員っていうのは業務執行をやっているというだけで、それが付いているからえらいとかはないんだよ」

会社を含め、多種多様な肩書が溢れていて、長年肩書なしの主婦をやっていた母親からはよくわからないらしい。わからないものを理解しようとすると、どうしてもランキングを付けてみようとするのだが、組織によって序列が異なるので、こちらも簡単に説明はできない。

父も入って説明したものの、母は最期まで釈然としない様子だった。

 

幼いころの問いに「日本で一番えらい人は?」というものがある。答えは「総理大臣」で、アメリカの場合は「大統領」、フランスも「大統領」、イギリスは「首相」、タイは「首相」と「国王」がいるけどどっちだろうとなる。

大人になれば、「どっちがエラいなんて関係ないじゃないか。総理だろうが大統領だろうがソンケーできない奴はエラくない」と割り切っていく一方で、名刺交換の時には「へー!こう見えても人でも常務取締役なのねえ」と少し見る目を変えたりしてしまう。

中にはスゴい会社があって、「この主任やマネージャー、シニアディレクターっていう役職は何ですか?」と訊くと

「いやー、若手で名刺に肩書がないと話も聞いてくれない取引先があって、全員何か付いているんです」

と素直に答えてくれたセールスがいた。

田舎の会社になると、「ウチは支店長が担当している」という妙なプライドを持つ社長がいて、担当替えで平社員が担当すると怒り出すという話を聞いたことがある。その一方で担当していた平社員が支店長とか取締役とかになると、「ウチが出世させてあげた」と喜ぶ人もいて、肩書の持つ力もバカにならないものだと感じる。

 

田舎の営業所から本社に赴任すると、部長とか事業部長、常務、社長、会長といろいろいっぱい百花繚乱で、何がえらいのか見当がつかなかった。見上げれば上の立場の人がいっぱいいて、見上げすぎてのけぞりそうである。

こち亀』で「神」に楯突こうとする両津に天国警察の刑事がこう言う

「地球を滅ぼす力のある方だぞ!」

神ならそうなんだろう。ただ両津は「神だろうが仏だろうが許せん」と復讐を企てて話が進展する。

これは漫画の話としても、地球を滅ぼす力のある人と張り合うのは大変だ。しかし、そんな人間は現実にはおらず、日々社長・会長・役員に平身低頭している。いくらえらくても地球は滅ぼせないし、クビに、いや社長であっても今の労働法上では簡単に解雇もできない。

それなら恐るるに足らずと考えるのはやはり少数で、「常務にお叱りを受けた」とか「社長にお褒めにあずかった」と言ってサラリーマンは一喜一憂している。

アホらしいと言えばアホらしい。深刻と言えば深刻なのである。

 

野口健は幼少の頃、大使である父親から

「俺も今は大使とか言われているが、辞めたらただの人だ。お前は自分の名前が肩書きになるような生き方をしろ」

と言われたそうだ。

野口健は長じて「七大陸最高峰を最年少で登頂」を成し遂げ、アルピニストという肩書きで紹介されている。

本やメディアではどうしてもキャッチコピーが必要なので、そのような紹介をされるのだが、七大陸最高峰の登頂は現代の登山においてさほど難易度は高くないとされている。ただ、彼自身も著書やインタビュー記事を読むとそのことを認識していて、登山界の一部にはアルピニストを名乗ることに対する反発があることも理解している。

えらい人、肩書きのある人にならなければやりたいこと(エヴェレスト登頂など)もできないから名乗っているといったところなのだろう。肩書きの力は借りるけど、執着しない。そのあたりを隠さないところは私はわりと好きである。

 

登山に行くと「ここから落ちたら死ぬなぁ」と思うところが必ず出てくる。その瞬間は踏み外すかどうかが問題であって、どんなにえらくても関係ない。

怖さを感じる一方で究極の平等を感じる瞬間でもある。だから私は定期的に山へ行きたくなるのかもしれない。