クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

人工知能は山に登らない

私は現在テレビもなく、新聞も購読していない。

先日、寄席で漫才を聞いたら時事ネタがよくわからなかった。さっぱりと言わずとも薄ぼんやりと霧がかかったような状態で、今一つ笑えない。例えば、加計学園とか森友学園とか名前は知っているが、詳しい経緯とかは知らない。汚職はもちろんよろしくないが、これらの事件がどのくらい人々に影響しているのかと考えると、年金問題とかもうちょっと他に扱うべき話題があるのではないかと思ったりする。まあこれは世情に疎い私が勝手に思うだけで、これらが非常に重大事だと言うかもしれない。

ただ、こんなことばかり書いていると世間知らずの謗りを受けそうなので、たまには社会的な話題でも書こうと思う。

 

人口頭脳、AI本が本屋に多く並んでいる。2010年代は第3次のAIブームと言われている。アルファ碁によるGoogle戦略は30年以上前のチェスソフト「ディープブルー」を使ったIBMによる広告戦略と同様に一定の成果を挙げたらしい。IBMがAI研究における第1次の、Googleが第3次ブームのランドマークとなったわけだが、最近は「AI」という言葉先行になっているきらいがある。「AIが選んだレシピ」と銘打った商品まで売られているが、サイコロでも振って決めたのだろうか。

 

ひと頃将棋に凝っていたのでそのつながりで人工知能にも興味がある。私が将棋に凝っていた20年ほど前、将棋ソフトはアマチュアの初級クラスだった。詳しい仕組みはわからないが、序盤はあらかじめ登録された定跡をベースにしており、ちょっと定跡から外れた不規則な攻撃にさらされると脆かった。詰みを見つけるのは早いが、定跡にない力戦形になると混乱して自滅してしまう。当時は「ソフトがプロレベルになるには50年。名人は永遠に負けない」と話すプロ棋士もいた。しかし、その言葉も隔世の感がある。2017年の叡王戦佐藤天彦名人がソフトに敗れるなど現在は名人クラスもコンピューターに対して分が悪いくらいになった。

 ただ、この一事を捉えて人工知能は人間を既に超えたというのは早計というものだろう。チェス・碁・将棋というゲームで勝ったのは厳密に規定されたルールの中で戦うからであり、電卓が暗算より正確だということと同じだ。人間の本当の凄さはチェス、碁、将棋というスリリングで奥深いゲームを生み出したことである。そのことを忘れて人間vs人工知能という理屈はナンセンスな話だ。

 

人工知能本では「AIによって人間の仕事が奪われる」という議論を始めるものも多い。センセーショナルなタイトルに思わず手に取ったりすると、いろいろ危機感を煽る内容が盛りだくさん。将来なくなる職業なんかがずらずら列記されている。

例えば自動運転になればタクシーやバスの運転手が必要なくなる。まあそうだろうな。人力車の車夫だって今はほとんどいないのだ。明治に登場して昭和の初めに消えて行ったこの職業と何が違うのだろうか。自動改札機の登場で切符切りの仕事がなくなったがそれと同じだ。ただこれは全般的なテクノロジーの進化によるものなのでAIと直接結びつけるものではないかもしれない。

金融やお金に絡むものへの影響は大きい。融資担当やクレジットカードの承認などは一定のルールで実施する限りはコンピューターでも判断できるだろう。それに奴らは計算ミスをしないし疲れない。長時間労働で問題にもならない。真空管を使った計算機が発明された当時からこのような仕事はなくなる運命にあったのだろう。

面白いところではカジノのディーラーなんかがある。カジノからディーラーがいなくなったら果たして客は誰と戦うのだろうか。私はギャンブルをしないが、すべてがコンピューターパチンコ方式になったらギャンブルも魅力が半減するような気もするが。

公認会計士や税理士。基本的にこれらの職業はルール通り実施することが職務だ。高度な資格だが元来は正確な財務諸表を作成すること、正確な税務申告をすることであるが、その中で会計基準や税法を複雑化させたことで生まれた職業と言える。極端な話が人頭税の世界なら税理士はいらない。複雑・曖昧な部分を残すからこういった職が存在するのだ。

第3次ブームの立役者であるディープラーニングは、数多くの事例の特徴を捉えることで確度の高い回答を導くという仕事をする。従来は、「A+B=Cです。C+D=Eです。よってA+B+D=Eです」といちいち教え込まなくてはならなかったのだが、ディープラーニングは大量のデータから答らしきものを拾い出す。今や「答らしきもの」はインターネットの世界に溢れている。

会計や税務の難問も最後は過去の事例に頼ることになることが多い。そうなれば記憶力に限界のある人間より事例分析のできるコンピューターに頼る方が正解に近づける。これは司法の世界でも同じらしく、弁護士の仕事も今後減るだろうと言われている。一時は会計監査法人の出す会報誌に随分AI特集が組まれていた。ずいぶん危機感があるようだ。折角難関試験に合格して仕事がなくなるということになると目も当てられない。

そんなお前はどうなんだと言われそうだが、経理である。これは97%の仕事がなくなり、部長職のように対人折衝が必要な部分だけが残ると言われている。つまり私の職は早晩なくなるのだが、早いところこんな仕事をしたくないと思っている私には好都合だ。 

 

最後に私の勝手な人工知能に対する見解を書きたい。人工知能ができてしまうような仕事はしないほうがよい。その仕事は創造性やオリジナル性を持っていない仕事なのだから。

そもそもの話になるが人工知能は完成されていない。ここから私たちはスタートしなければならない。人工知能開発にはいろいろな難関がある。確かにディープラーニングの進化によって確度の高い答えを見つけることができるようになったが、それは数ある「答えらしきもの」を分析することで、現状の問題に対する解答を導き出しているに過ぎない。つまり、今のディープラーニングが導き出す答えはあくまで誰かの答えの少し先にあるものであり、全く未知の課題にはいまだ歯が立たないシステムなのだ。

人工知能ができないこと。それは過去に価値を見出していないことに価値を見出すことにある。今、きわめて完成された人工知能が開発されたとしても、それが「山へ登る」という結論を出すことはないだろう。

山に登ることは人工知能にとって意味のないことなのだから。