クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

日本語の壁

いつも通勤に使う道に繫華街の通りがある。ホルモン焼き屋、焼き鳥屋、不動産屋、喫茶店、普通のマッサージ店、カラオケ店などが並ぶ雑多な通りなのだが、なぜ繫華街と呼ぶのかと言えば、日が暮れるころからキャバクラの客引きが出て通りかかる人に声をかけるからだ。

客引きたちは概ね

「キャバクラのご利用いかがですかぁ?」

と訊ねてくる。別に何ということのない言葉のように聞こえる。しかし、よくよく考えると何かが変だ。

客引きの目的は客を店に呼び込むことである。そうすると「いかがですか?」と訊くのはおかしい。来てほしいのに訊いてどうするか。

それでは何といえば良いのかも難しい。「うちのキャバクラいいですよぉ!」というのが自然な宣伝。「うちのキャバクラに来ませんか?」は不自然か。「キャバクラを利用しましょう!」では何者だと振り返る人が出るだろう。

結局のところ通りを歩く人の大半は興味がないので、利用の可否を訊いてから営業活動を始めるという具合になったとみられる。ただ妙な日本語だなと感じるのは私だけだろうか。

 

ここのところ日本語のチェックばかりしている。キャバクラの件が気になるのもそれと無関係ではない気がする。

ただ、正しい日本語。これがなかなか難しい。

 最近見た文章に「昨年も印刷されていた」という表現があった。私は全然気にならなかったのだが、隣にいる先輩が

「なぜ『印刷していた』と書かないのか」

としきりに言う。「れる・られる」の用法には受身・可能・自発・尊敬がある。この場合考えられるのは自発か。「この工場では1日に1万部の雑誌が印刷されています」という文はおかしくない。ただ、これを工場長が書くと変だ。まるで自然現象のように勝手に起きているような印象を与えるからだ。

 この場合、「例年印刷している」ということを言いたいだけの文だった。その先輩の言い分は「他人事のように聞こえる」ということだ。「まあ言いたいことはわかるけど、意味は通じるじゃないですか」が私の言い分だ。言語学者じゃあるまいし、いちいち直していたらキリがない。

 

 そんな業務の中で難関があった。アメリカ企業との契約。契約書は日本語と英語の二ヶ国語で書かれている。

「二ヶ国語の記載に齟齬があった場合、日本語を優先する」と書いてあったので油断していたら、日本語がわからなかった。一応日本人なのだが、理解できない。慎重にもう一度読んでもわからない。分解して理解しようとすると、言語的には合っているのに理解できない。

どうなっとるんじゃ。

最終的には英語を読んだ。契約書特有の言葉遣いに苦労したが、難解な日本語を読むよりはるかに楽だ。

最終的に2人でチェックしたらかなりの誤植があった。確か日本法人といくつもの契約実績があるという触れ込みだったはずが、過去の契約企業はあまり真剣に読んでるなかったのかもしれない。


東大合格を目指した人工知能「東ロボ君」開発の最大の難関は言語理解だった。言語にはわれわれが無意識のうちに理解している数々の前提があり、前提条件を持たない機械には理解が難しいらしい。

逆に言えば常識にとらわれないことで人間を上回れる可能性を持つわけだが、人間をまだまだ人工知能が上回れないというのが人工知能研究の現状であるらしい。

私の弟はヨーロッパ言語、ラテン語系言語を覚えるのを趣味にしているが、考えてみれば彼が理解しているアジア言語は日本語のみである。言語は文化に根ざしており、違う文化圏の言語は簡単に理解できないということだろう。ましてや人工知能をや、である。

ちょっと前まで数字に悩まされていた(経理にいた)私が日本語に悩まされるという仕打ちに遭っている。随分昔に世界言語を作るというプロジェクトがあったものの、あれはどうなったのだろう。

言語の悩みが消えれば世界の悩みの何分の一かは消えるだろうが、世界の魅力もいくらか消えるような気がする。