今年も将棋・名人戦七番勝負が開幕した。
私自身は今、ほとんど指すこともないのだが、それでも結果は気になる。藤井五冠が将棋界の序列トップとはいえ、名人は当代1人しかいない。
棋士というと分厚いメガネをかけたインテリかオタクっぽい雰囲気の人が多いイメージだが、将棋も囲碁も元を糺せばただのゲーム。それに人生を賭けてしまった人たちである。
プロの養成機関である奨励会に入るだけでも、「東大に入るより難しい」とまで言われる。プロになるのはそのさらに一部。
米長邦雄は
「兄貴たちは頭が悪いから東大に行った」
と語ったそうだが、この発言は強烈な自負と正統派のエリートに対する嫉妬と言えるかもしれない。
ただ、そんなイチかバチかの世界に飛び込む姿と言うのは私のような小市民からすると非常に魅力的に思える。
中原誠十六世名人の兄弟子にあたる芹沢博文なんかは将棋界に飛び込んだのもイチかバチかなら、狙うのも名人一本。ただ、20代前半にしてA級に上り詰めるも、後進の加藤一二三、中原誠に追いつかれ、名人の座には弟弟子の中原誠が長く君臨することとなる。
その後、タレント活動と酒と博打に明け暮れた芹沢とは別に、名人へ強い思いを燃やしたのは村山聖だろう。大崎善生『聖の青春』で有名になった人物だ。
幼いころから腎臓を患い、常に死を意識していた。その中で「東の羽生、西の村山」と言われるほどの鬼才を発揮しA級に上り詰めるも、1度陥落。B級1組で捲土重来を期し、再びA級に復帰できるという時に急逝した。
「早く名人になって将棋をやめたい」と周囲に語っていたそうだから、思い入れは他の棋士以上だっただろう。
『聖の青春』の中で面白いのが、村山聖は同年代のスター羽生善治には憧れの目を向けるのに、佐藤康光には異常な敵意を抱いていたというところだ。勝手に推測するに、瞬く間にタイトルを獲得し、手の届かないところに行ってしまった羽生善治はアイドルとしての存在であったが、佐藤康光は絶対負けてはならないライバルだったのではないだろうか。
皮肉にも村山の死去した年、佐藤康光がA級順位戦のプレーオフで羽生善治を破り、さらに谷川浩司を4勝3敗で下して名人となる。村山の「敵視」はある意味で正しかったと言える。
そんなこんな桜のように咲いて散るイチかバチかの人生に憧れながら、今日も平穏かつ苦痛な仕事をこなしている。