ちょっと今さらながら『AI vs 教科書が読めない子どもたち』を読んだ。
筆者は新井紀子さんという数学者で、名前は「東ロボくん」で知っていた。東ロボくんは東京大学の入試を突破できる人工知能技術を可能かというプロジェクトで、センター試験から二次試験まで挑戦したらしい。
この本で知ったのは、わりとなりふり構わない方法を使ったんだなあということ。センター試験はマーク式なので、答えがわからなくても「当てる」ことはできる。
東ロボくんとてわからなければ運は天に任せて適当に答えるし、開発側も皮算用をしている。わからなければ確率の高そうな答えに賭ける。
このあたり本当の受験生と変わらない(もうちょっと数学的に確率計算するだろうけど)。
結果、関東ではMARCHくらい、関西なら関関同立のどこかの学部くらいは合格できるようなレベルになったらしい。
別にこの本は「今の子はデキが悪い」と貶めているわけではない。人工知能技術でできること(暗記する、機械的に答えを出す)を学ぶことに疑問を呈しているだけなのだが、読者の声を見るとちょっと的外れなものもある。
「私の子どももこの問題ができなくて衝撃を受けました」
なんていうのもある。
読解力が人工知能研究の足枷なのだから、生身の人は読解力を付けてくださいというのが趣旨なのだろうけど、
「このままでは子どもが失業しちゃう!」
とパニックっている姿が思い浮かぶ。ちょっと親御さんの読解力にも疑問が起きてしまいそうだ。
とにかく最近は何でもAI搭載なんていうキャッチが多すぎる。
さる人工知能学者によると知能とは知的に高度なことができる能力を指すのだから、電卓だってAIと呼んで差支えない。計算機に暗算を挑めば負けるのだから、「計算外」のことに挑戦するのが人間じゃないのかと思ったりする。
先々週、屋久島で雨予報の中、縦走したが、あれは人工知能ならやらないかな。
未だ凍傷から完全復活してないし、普通なら止めた方がいいだろう。ただ、そのおかげで人気のない縄文杉を堪能できた。
まあこれも計算外の人間の特権なのかもしれない。