クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

イジワル質問

先日、社内研修で夜の座談会があった。テーマは「10年後の会社の未来」。同じ社内とはいえいくつかのセクション、職種の違うメンバーで、それぞれの事業の将来について話し合ったのだが、かなり噛み合わない議論になってしまった。まあ当日に突然のネタ振りだったのでやむを得ないが、その研修では一番印象的だったのでちょっと書いてみた。

 

事業の詳細な内容は書かないが空港関連である。

私「今の業務が全て機械化される可能性はありますか?」

社員A「それはないと思います。機械に安全確認はできません」

そこから、しばらくロボット技術や人工知能が進出すると、現在社員がやっている業務がなくなるかという議論になった。「今、飛行機を動かす車両は人が乗らず、遠隔操作になっている」なんていう話(飛行機が搭乗口から離れる時に押し出す車両)が出て、一同「へー!」なんていう声も出た。

社員B「今私が行っている業務をコンピューターでプログラムすると何千万円とかかってコストが合わないようです」

私「金額が下がったら導入できるということですか?」

 

後から振り返っても意地の悪い質問をしたものだ。しかし、彼らは私のイジワルを感じただろうか。

私のイジワルは「テクノロジーが進化したらその仕事はなくなるかもよ」「今は機械やコンピューター化してコストが合わなくてもいずれ合うようになるかもよ」ということだ。そして何より言いたかったのは「機械化のネックがコストなら、人件費はその機械化のコストより低く抑えられちゃうよ」ということなのだ。

 

より正確に業務を遂行してくれる人がいれば会社にとっては有益だ。しかし、絶対にミスをしない機械がやって来たら、人間の正確性なんかたかが知れている。

例えば請求書を見て正確に伝票が打てる人がいたとしよう。当然、作業の荒い人に任すよりはいいので、重宝される。しかし、これは紙媒体を機械が読めない、または読める機械があっても人間がやるよりコストが高いから導入していないだけである。つまり、この仕事はなくなる可能性があるし、正確に業務をこなす人は機械の導入コストが下がるまでのツナギに過ぎない。

 

私はこんなことを書いて別に危機感を煽ろうとしているわけではない。日本はこれから少子高齢化労働人口が減ろうとしているのだから、仮に今の仕事がなくなっても他の仕事は必ず残っている。

しかし、時々考えるのは今取り組んでいるこの業務が先々まで残るかということだ。いくら正確な伝票を打つ技能を磨いても、その業務がなくなったら意味がない。有限な人生を切り売りしてやっている仕事だからこそ、将来に繋がる仕事を考えようと私はその座談会で言いたかったのだ。