クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

体験の共有~テレビ vs YouTubeの戦いは?②

前回からの続き。

ウェブはバカと暇人のもの』という本によれば、まだまだテレビのネタがネットに出ているだけとなっていた。

なるほどYouTubeSNSという個人を主体とした媒体は、一部で話題になるばかりで全体を網羅しつくさない。私は「ヒカキン」や「ふわちゃん」の動画をまともに見たことがない。

所詮、テレビからネットに情報が流れ込んで話題になるだけ。さらにネットは人生を変えないというのが筆者の意見である。ここで言うネットとはSNSやブログといった個人発信の情報や「2ちゃんねる」やmixiなどの匿名サイトである。

 

しかし、これは2009年に出た本で、もう11年も経っている。この11年余りは私のテレビのない生活と同じくらいの年数であるが、この間に動画やさまざまなコンテンツ作成のツールは充実し、配信速度はけた違いになった。

今や電車の中での過ごし方は寝ているかスマートフォンで動画を見る、ゲームをするかのどちらかと言っても過言ではない。

 

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電車の中の過ごし方は?

もちろん個人媒体であるYouTubeに問題がないわけではない。というか問題だらけである。

ユーチューバーは再生回数を伸ばすことが目的なので、テレビ番組制作者のように啓蒙とか教育という考えはない。意味のありそうなもの、なさそうなもの。それらがないまぜになって出てくる。情報の真偽も受け手に委ねられる。

さらに、内容によっては投稿を機械的に削除されてしまう。どういうメカニズムかよく知らないが、NGワードが入るとたちまちブロックされるらしい。機械が相手なので、文脈やその場の意味は無視。

まだまだ未成熟なシステムという印象がある。

 

それでも最近思うのは、①に挙げたとおり、テレビの進化がとまったことである。出演者も構成も時が止まったようだ。

さらに今年のコロナがYouTubeへの流れを加速させていると思われる。独り語りや対談番組ならテレビはいらない。テレビタレントも次々とユーチューバーデビューしている。テレビで仕事がある人はユーチューバーにならないどころではなく、映画やテレビの宣伝のためにYouTubeを利用するようになった。

もはやJRと私鉄が乗り入れるように、テレビがYouTubeに乗り入れている。

 

さらにYouTubeの強みは個人的な体験を共有できることにある。

私がYouTubeを見るきっかけになったのは、登山家・竹内洋岳さんの登山動画だ。テレビならカットされるようなベースキャンプでの遊びを載せている。テレビでは「ストイックな登山家」としての物語を描くのに不要と切捨ててしまう部分も載せられる。余計なフィルターを通さない分、より「リアル」な辛い、楽しい体験を載せることができる。

テレビでは定番の落ち着いた声のナレーションも時に不要と思われる。現実にナレーション付きの体験などないのだ。

受け手は自ら良質なものを探す必要があるが、それもそれでいいのだろう。評判が価値を決めるのが市場主義だ。

 

このままテレビはYouTubeの広告となってしまうだろうか。

またテレビが面白くなったら私も買おうと思っているのだが…果たして。