晴れた休日に山下公園に出かけると気候が良いせいかたくさんので溢れていた。そしてたくさんの「変な人」がいた。
銀杏をバックに写真を撮影している男女、女性は若いが男性はその父親くらいの年齢、がいた。雑誌か広告の撮影かと思ったが、カメラはプロ仕様とは言えないミラーレス一眼だった。ただ女性は妙に着飾っていたので、とりあえず仕事なのかと解釈した。もうちょっと色づいた銀杏の前で撮ればいいのに。
氷川丸の近くでは二十歳前後と思われる女性が踊っていた。何をしているのかと思ったら、一脚にセットしたスマホがあったので、動画を撮っているようだった。この日の山下公園は何かの撮影コンテストでもあるのだろうか。
山下公園を過ぎてみなとみらい方面に歩いていくと、一台のオフロードバイクがエンジンをふかしていた。ライダーはヘルメットにGoProを付けていて、信号が変わるや急発進してウィリーしたのだが、次の信号が赤なのですぐにまた止まった。ああいうことは街中でなくオフロードでやればいいと思う。
街中でも人が多いと奇人変人が多くなる。かく言う私も2時間も走って山下公園にたどり着いているのだから奇人変人の類である。
街中では100人か200人に1人くらいが「変な人」と見なされるのだが、山に入るとこの率が格段に高くなる気がする。思うに「変な人」は単に全体の中でのマイノリティーなのだから、山に行く段階でマイノリティーということですでに「変な人」なのだ。ただ山さらにの中でも奇人変人となると希少価値からいくと芸能人並みで、なかなか面白いことになる。
対象にした人には大変失礼極まりないのだが、私が出会った奇人変人について書いてみたい。
Ⅰ 水晶岳の自転車
去年、黒部湖から上高地まで北アルプスを縦走した。このコースの中でも黒部湖から水晶岳は読売新道と呼ばれる道で、これが通常7時間くらいかかるくらい長い。この道ではハセツネと呼ばれる大会を2度完走しているおじさんや、私が全くついていけないくらいのスピードで歩く50代のおじさんと出会った。ただ、これらのおじさんたちは体力的にすごいのであって、奇人変人というわけではない。本当に変な人に出会ったのはこれらの人たちと会った後だった。
私はハセツネおじさんと半日行動を共にし、水晶小屋でビールをご馳走になって別れた。その後、ほろ酔いで鷲羽岳に向かったが、すでにかなり疲労していた。時間は14時を過ぎていただろうか。「疲れたー」とひとりごちていると、一人の中年男性が坂を登ってきた。「こんにちはー」と声をかけたのだが、男性は息も絶え絶えという雰囲気だった。なぜこんなに疲れているのかと思ったが、すぐに謎は解けた。
その男性はなぜか自転車を担いで坂を登っていたのだ。自転車はマウンテンバイクで、Kleinという名門メーカーのものだった。
街中では危ない人として無視するであろう人だが、ここは山の中である。こんな変な人もいて何ら不思議ではない。というか私もその一派なのだ。
私「大変そうですね」
男性「ええ、はあはあ(あとは声にならず)」
私「自転車で下山するのですか?」
男性「いいえ」
私「それじゃ、アプローチに使ったのですか?」
男性「いいえ、こうやって担ぐのが好きなんです」
私「じゃあその自転車は乗らない?」
男性「ええ」
意味不明である。自転車は乗るためにあるのであって、担ぐために製造されたわけではない。自転車自身も乗られることを期待しているのであって、担がれるのは自転車の本分に悖るのではないと思うのだが、その男性は息を上げながら自転車を北アルプスの最奥に運び込んでいた。
その男性は「今日はどこまでいけるかなー。あとどのくらいありますか?」と私に訊いてきた。「あと1時間くらいで水晶小屋に着くと思いますが、今日はいっぱいでしょうね」と答えておいたが、10㎏前後はある自転車の前にビバーク装備を持ってきた方がいいのにと心中では思っていた。
まあ、わけわからん人という意味ではここ3年でナンバーワンだろう。他の山でであってFacebookのアカウントを交換した人も偶然同時期に北アルプスにいて、やはりこの人を目撃していたらしい。
Ⅱ ウルトラマラソンと橇
昨年6月に「いわて銀河チャレンジマラソン」の100kmの部に出た。地方マラソンは大抵が前日に受付をして、ゼッケンをもらう。このマラソンは前日北上市の体育館で受付を行い、翌朝4時に総合運動公園からスターという段取りだった。
大会前日は今にも泣きだしそうな曇天で、私は受付開始のかなり前に体育館に着いた。着いてすぐに空から大量の雨が落ちてきて、体育館の薄い屋根を容赦なく叩き始めた。「すげー」と外を眺めながら、他の早く着きすぎた参加者と顔を見合わせた。顔を合わせるうちに、自然と明日の大会についての会話が数人で始まっていた。
「私は今回初めてだし、参加するのは50kmなんです」
と小柄でおとなしそうな50くらいの上品な女性が話し始めた。
「みなさん100kmですか?」
私は「ええ」と言ったが、「私はこれまでフルマラソンも完走したことないです」と正直に告白した。「ええっ!」と周囲に驚かれる。それはそうだろう。我がことながらこれまでハーフマラソンしか完走したことのない人間が参加するのは狂気の沙汰だ。
1人の30くらいの眼鏡の男性が陽気に話し始めた。
「いや、大丈夫ですよ。私はこれで3回目ですけど暑くなければ完走できます。ただ途中のトンネルが寒いので注意した方がいいですね」
経験者のアドバイスはありがたい。私は会場にあらかじめ準備されていたビニール袋を取り、首を通す穴をあけて自分のザックにしまいこんだ。
そのお兄さんはさらに語る。
「この前はアラスカのレースに出ていました」
「へっ?アラスカでマラソンですか?」
「ええ。マラソンという感じでもないですが。橇を引いて歩くんです」
「変わったレースですね」
「途中で吹雪になったりすることもあって、レースというより遭難です」
ウルトラマラソンというのは実にいろいろな人、普通の競技で飽き足らない人が集まるものらしい。このお兄さんは私から見るとちょっとポッチャリしていて、あまりマラソン向きの体形には見えなかった。
「寒さ対策で太ったんです。まあ今回の100kmはリハビリですね」
リハビリで100kmを走るとは完全に頭の構造がおかしくなっている。
翌日、大会当日にもこのお兄さんとはまた会った。会ったのはゴール会場だ。10時間30分で完走した私はゴールテープを切った途端に、足に激痛が走った。もう足のどこがというではなく、全部が痛い。わずかな段差が辛い。体育館のシャワーを使ったが、パンツを脱ぐのも履くのも一苦労だった。
体育館を出て、昼食を取ろうと外に出るときに橇のお兄さんはいた。前日同様の晴れやかな顔で 座っている。「完走しました?」と訊いてみた。
「いや、なめとこ山のトンネルでリタイアしました」
「え?」
「やっぱりまだ体重が重くて。この先行っても完走はできないかなと思って回収されちゃいました」
私は心の中で「うーむ」とうなってしまった。レースのためにアラスカまでぶっ飛ぶ人なら東北の町に来てリタイアするくらいなんでもないのかもしれない。前日「仕事で北海道の山の中に1週間いました」とか平気で言っていたが、何を生業にしているのかついにわからなかった。
Ⅲ ハワイの空
6年前の2月に八ヶ岳・硫黄岳に山で知り合った友人たちと登った。まだ雪山初心者だったので、同レベルの人と出会って一緒に登ることになったのだ。1日目は赤岳鉱泉に泊まり、2日目に硫黄岳まで登るという特筆すべきことは何一つないコースだった。1日目の夜は赤岳鉱泉で1人が持ってきたすき焼きセットを堪能し、小屋の談話室でくつろいだ。
山、特に冬山は人の間隔が小さくなる気がする。山という同好の人が集う空間で、冬山というる程度のレベルの人間が集まると、自然に「同志」という意識が生まれる。たまたま隣にいた中年男性3人組の方々となんとなく話を始めた。単に雑談だったが、そのうち一人ののエピソードがすごかったので奇人変人の一員として紹介しようと思う。
彼は山もやるが、トライアスロンの大会にも参加する根っからのアスリートだ。トライアスロンはオリンピックでも正式種目になる競技で、ある種スポーツとして確立したものだが、その彼はさらに上の「アイアンマンレース」にも参加しているという。アイアンマンレースとは、swim3.5km、bike180km、run42.195kmを走破するレースである。通常のオリンピックのトライアスロンがswim1.5km、bike40km、run10kmであることを考えると差は歴然だ。その彼は数年前にハワイのアイアンマンレースに出場したいう。
「大会の1週間前に最後の追い込みやと思って自転車のトレーニングをやってたんやけど、車にはねられて気が付いたら病院のベッドに寝てた」
事故に遭い救急車で搬送されたらしい。気が付いた時には病院のベッドで体はチューブや点滴でいっぱいだった。とっさに思ったのはこれからどうするかではなく、1週間後の大会だった。どうやったら大会に出られるか。今の自分の状態ではなく考えはそれ1点に集約されていた。考えを巡らすものの、病院でチューブだらけの体では何もできないのは明白である。どうしようと考えるが時間がただ過ぎるばかりだった。
「看護師さんにトイレ行きたいって言ったらアソコに管を入れるか、尿瓶を使うって言われた。『それは絶対に嫌やー』って言ったらなんとかトイレに行かせてくれた」
看護師も困っただろう。しかし、本当に困るのはこの後だ。
「点滴押してトイレに入ったら、体に付いてる点滴とか全部取って、窓から逃げた」
昭和の脱獄王さながらの逃走劇である。しかもやったのは囚人などではない重傷者なのだ。そして彼は歩いて家に帰ってしまったのだという。
帰ったのは無論、1週間後の大会に出るためである。車にはねられて病院から脱走する段階で奇人変人合格だが、さらに彼は翌週には予定通りハワイに飛び、念願のスタートラインについていた。最初はswimだ。
「泳ぎ始めて最初は良かったけど、途中から息継ぎが苦しくなってん。事故で口の中が切れていて、泳いでいるうちに内皮がはがれて、息がしにくくなっててん」
それでもswimを終え、bikeの時は調子が良かったらしい。これなら完走できるなと思ったという。ところが、事故と1週間の練習不足は最後のrunの時に効いてきた。
「走ってて、もう途中から記憶がなくなっってた」
「えっ!覚えてないんですか?」
「うん。完走せなとは思っててんけど、気が付いたら上向いて寝てた。『あかん、走らな』と思ったら、スタッフに"Comgratulashon"って言われた」
「えっ!」
「俺も途中で倒れたんやと思ったからなんでやと思ったんやけど、ふと気づくと胸に完走メダルがかかっててん」
「完走してから倒れたんですか?」
「多分。自分でも記憶ないからわからんのやけど」
すさまじい話である。
重傷の怪我人の完走。貴乃花の武蔵丸との優勝決定戦とか古賀稔彦の金メダルとか、スポーツには怪我をおして出場し、栄光をつかんだ物語は数あるが、病院を脱走して出場して完走した例はそうないだろう。市井の人の物語にも面白いものがまだ星のように眠っているのだろう。
山に行くと、綺麗な景色や澄んだ空気も魅力なのだが、奇人変人に出会うのもまた大きな魅力である。私もそのうち、他者にとっての奇人変人になっていることを心のどこかで望んでいるところもある。