クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

山を歩く人ー塩見岳~北岳山行(day2/2)

熊ノ平小屋は稜線にありながら水の豊富なところだ。

南アルプスの天然水」は甲斐駒ヶ岳近辺であり、山梨側の麓である北杜市サントリーの工場がある。CMで宇多田ヒカルが登ったのも南アルプス北部の栗沢山という山で、最後のシーンは甲斐駒ヶ岳で締めくくられている。

余談だが(どうせこのブログは余談そのものなのだ)、北杜市住民はあのCMに映る甲斐駒ヶ岳は長野側から撮られているのが不満なのだそうだ。甲斐駒ヶ岳頂上の白い花崗岩が映えるのはどうしても長野側なのだから仕方がない。それにしてもあの一瞬で長野側か山梨側かを見極める北杜市民恐るべしである。


小屋でテント泊の受付をしてビールを買う。北アルプス幕営料は軒並み1000円なのに対して熊ノ平小屋は600円。ビールはついついロング缶にしてしまった。

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農鳥岳を背にテント泊

熊ノ平小屋に着いたのは15時ちょうど。テント泊の醍醐味はぼんやりすることだ。

ビールを水場で冷やす間にテントを設営し、荷物を中に放り込み、柿の種と文庫本を手元に用意する。水場で水を汲み、ビールを引き上げ、缶を開けてカップに注ぐ。高度が高いと泡が立ちやすい。一口飲んで文庫本を開く。

本はいつも適当に持ってくる。山で山の本はあまり読まない。今いる山と本の中の山に生まれるギャップが埋められないからだ。代わりに旅の本が多い。今回は村上春樹『辺境・近境』を持ってきた。あまり集中して読む必要のないエッセイ形式がいい。一口飲んで少し読んでを繰り返していると霧がかっていた眼前に晴れ間が戻り、農鳥岳が姿を現した。

 

 夕日に染まる農鳥岳を眺めていると隣のテントの人が話しかけてきた。

40歳くらいの痩身の男性。私が山小屋でテント泊の受付をした時に前にいた。テント泊で食事ができるかを訊いていて、連休中はできないと断わられ、代わりにカップ麺を買っていた。

私は基本的に小屋で食事を頼まない。小屋はあくまで緊急避難場所であり、食事をあてにするのは私の登山の思想に合わないからだ。うるさい拘りのようだが、山に移送費を掛けて身体(私自身)と食料を運んで消費するのは何か納得できない。そんなもやもやを運んできたのがその男性だった。

その男性が話しかけてきた

「あれは農鳥ですか?」

「そうですね」

「結構切れ落ちてますねぇ」

「ええ。あそこはかなりきついですよ」

「あっちも行ってみたいなぁ」

私のような標準登山者(と思っている)は北岳間ノ岳農鳥岳白峰三山縦走を経て仙塩尾根縦走を企てる。この男性はどうやら逆らしい。

「どちらから来られました?」

逆に訊いてみる。

駒ヶ根から走って地蔵尾根から仙丈ヶ岳へ。そこから歩いて来ました」

一瞬頭の中の地図が混乱する。駒ヶ根は冬に仙丈ヶ岳に登った時、戸台口までタクシーに乗ったことがある。地蔵尾根は山岳雑誌に載ってたような気がする。確か仙丈ヶ岳へ伸びる一直線の尾根だ。しかし、それらは全然結びつかない。というか駅から山って加藤文太郎か!?

「今日0時から走ったんですけどね。14時間かかりました」

へっ?0時って今日なんかい!?もはや徹夜で走っているようなもんだ。私がバスで眠い眠いと言っていたのがアホらしくなる。

「へぇー!水の補給とか大変でしょう」

こちらも14時間のことを置いて登山者らしい質問を繰り出したつもりだった。

仙丈ヶ岳で水が切れて小屋まで下りました。大したことはないですがロスですね」

「明日はどちらまで?」

荒川岳の避難小屋まで。そして茶臼まで行って下山します」

私は脳内にある地図の空白を埋めながら会話するしかない。私の空白は三伏峠から荒川岳間、赤石岳から兎岳避難小屋間、聖平から茶臼岳だ。三伏山で会った女性のパートナーと組み合わせるとほぼ南アルプス全山縦走となる。

こうなると自分の「山岳雑誌で3泊4日を2泊3日にしちゃったもんね計画」など問題にならない。お尻ペンペンのおとといきやがれだ。

その男性とは「ではお気をつけて」となんとなく別れて各々のテントに入った。


山では超人に出会う。「たまたま」ではなく「しょっちゅう」だ。

今、東京オリンピックに向けてマラソンなどは大々的に代表選考を行なっている。しかし、それが世界への頂点に向かう「一つの」道に過ぎない。巷にはその道にすら入らない幾多の人々が数多く存在するのだ。