クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

山での死について考える

『岳人』の12月号の特集は「山の事故から身を守る」だった。印象に残ったのは古澤早耶さんの記事で、実父が遭難死したことについて書かれていた。

私は幸いなことに本格的に遭難したことはないし友人・知人を山で失ったことはない。それでも雪山で滑落してクレバスに挟まって助かった友人とか、一緒に登っている途中の雪面トラバースで崖下に落ちそうになった友人とかはいる。知り合い以外では、崖下に墜落して重傷を負った人、雪面を滑落していった人を目撃したことはあるが、今のところ亡くなった人はいない。

山に行かない人は「なぜそんな危ないところに?」と言う。山岳雑誌や登山口のポスターには「山で死んではならない」と書いてある。それでも山に行く人は、「自分は遭難しないだろう」と思って行っているし、私もその一員だ。「遭難する可能性はある」と思っていても、はっきり「遭難するだろう」などと考えている人などいない。

 

今から3年ほど前に行方不明者捜索を依頼されてことがある。依頼してきたのは会社の先輩で、行方不明になったのはその人の義父にあたる人だ。

行方不明者は早朝に自家用車で山に向かい、そのまま帰って来ないため家族が捜索願を出した。場所は福島県の低山で、登山口近くに車が止めてあったが、その後の足取りはつかめていないという。

先輩によると、捜索願を出して1週間は県警と山の探索を行ったが、手掛かりはつかめていない。山岳警備隊でもない県警の警察官と行くと捜索以前に二重遭難になりそうだった。1週間も経つと生存の望みはほぼないが、捜索には山慣れた人の方がよいということで私に白羽の矢が立った。依頼された日は予定もなかったので引き受けたが、それから数日はなんとも言えない気持ちに襲われた。

 

これまで山での死を見たことはないが、「◯◯君 ここに眠る」という碑は幾度となく見ている。大阪金剛山で見た時は「なんでこんなところに!」と思った。標高1000mくらいで遭難碑が立っているのもなんともない小高い丘の上だった。

北アルプスにはさすがにあちらこちらにある。薬師岳の登山口にあたる折立には1963年愛知大学の学生大量遭難の慰霊塔があり、彼らが迷い込んだ東南稜のあたりには巨大なケルンがある。他にもワリモ岳のあたりにも鉄板に刻まれた慰霊碑があったりで、縦走すると必ず2つか3つは目にすることになる。

ただ、数々の死の痕跡を目にするうちに次第に自分の感覚が麻痺していくのもわかった。山の遭難は時代がここ10年くらいのものから数十年前のものが混在している。観光客が関ヶ原の古戦場に行ったからといって痛ましい気持ちならないように、山の遭難自体が過去の遺物として頭が処理するようになってくるからだ。

ここから落ちれば死ぬ。それは今も数十年前も変わらない事実のはずなのに、数々の遭難碑を見るにつれてここにリアルな死が存在したことを感じることができなくなっていた。

 

先輩の捜索依頼は赤の他人とはいえ、突然舞い込んだ「山での死」だった(まだ確定はしていないが生存はほぼ絶望的に見えた)。まだ見ぬ山に対して私の脳裏にはさまざまな想像が駆け巡った。

登山道から滑落?違う尾根を下った?それとも下山中に沢筋に入った?どこかに避難してそのまま?

結局、捜索は悪天候のために中止となった。しかし、私にとってはここ数年で山での遭難死を最もリアルに感じた数日だった。

遺体はその数ヶ月後、登山者によって偶然発見されたという。

 

私の場合は全く知らない人についてだが(しかも最終的に捜索に行かなかった)、『岳人』の記事ではなんと実父である。遺品を探す彼女の気持ちは如何ばかりだったかと思う。文章は感情的にならず淡々と綴られていた。

登山口などには「山岳遭難は他人事ではありません!」といたるところに大書されている。では、山に登るなということかというとそうは書いていない。とにかく気を付けろと。しかし、用心深い人がなんでもないところで亡くなるのが山だ。慰霊碑は大概「なぜ?」という場所にあることが多い。

登山者は、たくさんの他人がなぜか死んでしまった場所に淡々と通っている。遭難死の記事を見るにつけて思うのは、人は他人の死しか見ることができないことだ。