クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

旅の本

山から下山して電車に乗り込むと、まず手元にWALKMANと文庫本、飲み物を用意する。飲み物はその時々、水だったりお茶だったりアルコールだったりする。電車が発車すると、飲み物を一口、そして文庫本を開く。

 

山に行って「山の本」を読むことは少ない。目の前の景色と文章が合わない場合にはストレスになるからだ。暑い暑いと汗を絞られた夏の山でヒマラヤの凍える風景は思い浮かばない。

代わりに山には「旅の本」を持って行く。むしろ山と関係ない海外を舞台にした旅行記の方がその世界観に入りやすい。1人でのテント泊は寂しい面もあるが、テントを張って、遠くの山を眺めながら本を広げるのは至福の時でもある。

 

私が山で(別に山でなくても良いが)お薦めは以下の通り。

  1. 石田ゆうすけ『行かずに死ねるか!』
  2. 沢木耕太郎深夜特急
  3. 野田知佑『旅へ』

自分で書いておきながらわりと定番。本好きならあっさりと「あーそれね」と言われそうだ。取り上げたすべてに共通するのは文章がどれもうまい。私ごときが誉めるのもなんだが、山という異空間や電車で読むにはその世界観に浸るだけの文章力が必要だと思う。文章の世界に身を委ねながら、「あっ、そういやここは山だった」と我に帰るのがなんとも心地よい。

既に定評のある本ばかりなので、今更の感じもするが私の感想を書き出してみた。

 

1.石田ゆうすけ『行かずに死ねるか!』

これは夏の八ヶ岳・赤岳鉱泉でテントを張り、ごろ寝しながら読んだ。

7年にもわたる自転車での世界一周記だ。世界一周というと冒険の匂いがする。大学時代に、九里徳泰『人力地球縦断』、関野吉晴『グレートジャーニー』など読んだが、すべてが旅より冒険というテーマだった。特にこの2人は南米大陸北米大陸の間のジャングルにも分け入っているし、文明と隔絶された民族とも出会っている。まるで18世紀のイギリス人がアフリカで行った冒険のような行為を20世紀に入って繰り広げていた。

その他に井上洋平『自転車五大陸走破』は冒険的とは言えない気がしたが、題名が語る通り、ある種の偉業を成し遂げた記録といった主張が強い。

それらに比べると石田さんの著書は世界一周をさりげない形で示し、自転車という手段で7年間の旅をした記録の印象的な部分を綴っている。この本の最も優れている点は、自転車で世界一周することを誰にでもできるように書きながら、何気ない人々との邂逅を誰にも描けない鮮やかさで浮かびあげていることだ。

アラスカのカヌーイスト、ペルーの少年、エストニアの少女、アフリカの子どもとのさりげない出会いと別れ。冒険者という超人の世界観ではなく、通り過ぎる旅人として現地の人と同じ目線でその心の触れ合いを中心にした世界一周は他のどの本にもない爽やかな風を心に吹き込んでくれた。

気が付くとテントから見える緑の大同心の上にぽっかりと白いクロワッサンのような雲が浮かんでいた。

 

2.沢木耕太郎深夜特急

これは定番すぎるほど定番。バックパッカーのバイブルとも呼ばれている。

私がこの本を読み始めたのは25歳になる前。小説家の原田宗典が徹夜で読んでしまったとエッセイに書いていて読み始めた。しかし、読み終わった時には27歳になっていた。新潮文庫で全6冊とはいえ2年もかかったことになる。

なぜこれほどの時間がかかったのか。今から振り返ると私の「年齢」にあったと思う。石田ゆうすけさんは大学を卒業して就職した時から「自転車で世界一周」という夢を抱いており、その夢を実現するために旅に出た。

それに比べると沢木さんの旅の発端はある種の逃避行だ。「仕事に行き詰まる中、間もなく旅に出るから仕事は受けられない」という言い訳をしている中で、ついには本当に旅に出ざるを得なくなった。「インド・デリーからイギリス・ロンドンまでを乗合バスで行く」というテーマだが、初っ端から香港に行ってしまう。

自転車旅行はスピードこそ遅いが、進む意志と体力が旅の推進力になる。そして何より目的地まで旅をを続けることが旅の目的となる。それに対して『深夜特急』の旅はもともと現実からの逃避だった。現実という監獄から抜け出した26歳の「私」はデリー発ロンドン行を表題に掲げながらも、本当はあての旅を始める。わずかな現金とトラベラーズチェックを使い果たしたらそれでおしまい。日本に帰らなくてはならない。

そのあたりは24歳で読み始めた私にはわからなかった。無目的に放浪することに人生を費やすことに何の意味があるのか。26歳の「私」は時に興奮し、時に憤り、時に落胆するが、どれも自分の旅を、人生をどうにかしようという種類のものではない。ただその瞬間の心の揺れ動きに過ぎない。

この本をどこで読んだかはあまり印象に残っていない。通勤の地下鉄で、登山中のテントで、下山してからの電車で。読書は遅々として進まなかった。ところが1年くらい行ったり戻ったりしていたが、ある時からぐいぐい読み進むようになった。山に登るうちにわかる気がしてきたのだ。

最初は「雪のある山に行きたい」「3000m峰に登りたい」「岩場の険しい稜線を行きたい」という明確だが漠然とした目的を追いかけて自分なりにレベルを上げてきた。ところが、ある時レベルを上げることに対して突然魅力を感じなくなってしまった。私のやっている登山は登山道を使った尾根歩き。ただのハイキングだ。それを続けることにどんな意味もない。仕事も就職して2年・3年経つうちに最初の勢いを失っていった。迷走するにつれて読書スピードはなぜか上がった。

「私」は一体何をしようとしているのか。読み始めて読み終わるまでの2年間は、私が『深夜特急』の「私」の心境に追いつくための時間だったのだ。

 

3.野田知佑『旅へ』

野田さんの本は『日本の川を旅する』をはじめほとんど読んだが、その中でも『旅へ』は異色の作品と言える。明るく楽しいカヌーイスト、ダム行政に憤る環境活動家としての面ではなく、個人的な青春時代を若き日のヨーロッパ旅行を軸に描いている。

野田さんは実にマジメな青年だった。マジメに人生について悩み、就職もせずに放浪していた。そして周囲に「早くマジメに働け」と言われていた。マジメに働いている人の大半はマジメに人生の選択を行っていない。

黒部の山奥でごろ寝しながらこの本を読んでいた私は自分が人生に対して不マジメだったなあと思っていた。不マジメだから今悩み、苦しんでいるのだ。野田さんは20代から悩みぬいて、40にして突き抜けた。私はそれより何年も遅く悩み始めたのだ。悩みのトンネルを突き抜けるにはもっとかかるかもしれない。

人生そのものは大きな旅みたいなものだ。自分でどこに行くのか、何をするのかを決めなくてはならない。野田さんはヨーロッパでその自由を知り、その自由の辛さを知って日本に帰ってきた。そして日本で不自由に生きる人の間で独り自由になろうとして葛藤した。その葛藤をもう少し早くするべきだったかな。

そんなことを考えながらテントでウィスキーを飲み、谷間から覗く空を見ながら腐葉土の匂いを嗅いでいた。

 

 山に持っていく本の選択にはまいかい頭を悩ませられる。

単行本を持つのは辛いので文庫本。ただ、テントでさて読もうと広げて読書欲の湧かない本だと山行にもケチがついたような気がするので選ぶときは慎重だ。

まだ見ぬ旅の銘本を携えて毎度山や旅に向かう。次に向かう空にはどんな雲が浮かんでいるだろうか。

行かずに死ねるか!―世界9万5000km自転車ひとり旅 (幻冬舎文庫)

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深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)

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旅へ―新・放浪記〈1〉 (文春文庫)

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