先日、某一流ホテルで昼食を取るという機会に恵まれた。
まあイベントをやって、その残り物を漁るというというか頂戴したわけで、寿司は残っておらず、カレーとオードブル少々という具合だった。それでも1人前1万円也のフランス料理で、ローストビーフはホテルこだわりのもの。「うまいうまい」と食った。
その晩、ズッキーニを豚肉で巻いたものを相方が作ってくれたので食ったらこれも「うまいうまい」である。
高級ローストビーフは美味かったものの、時間がなかったので、食したというより飲み込むようになって味を堪能できなかったのだ。
まあ、ズッキーニの豚肉ロールも口に放り込むなり「どう?」と感想を求めるのには閉口したが。
どうも私に贅沢は向いていないらしい。
山で出会った友人がいる。久しく会っていないのだが、ブログで近況を知るに、家を建て、車をスポーツカーとファミリーカーの2台買い、最近家族用のテントとカメラを買ったという。
彼はお金を使うのが上手だ。
ホテルで気取ったディナーなんかより家族でキャンプに行くための車とテント、子どもを写すカメラと一番搾りがあればいいのである。明確に楽しむためには金を惜しまないという姿勢が表れている。
聞いているだけで楽しい散財家なので、彼がブログにアップするのを楽しみにしている。
ある山の友人はコロナで仕事が減っているので、その時間をランニングと登山に充てている。収入は減るかもしれないが、今まで仕事に時間を喰われていた腹いせらしい。
冬は「八甲田山、死の彷徨」と同じコースの雪中行軍に行き、初夏から晩秋にかけては沢登り。雪と沢と利尻山をこよなく愛する女性である。
時間がある時は好きなことに存分に使う。これも別の意味で羨ましい散財家だ。
私は別に金に困っていなくてもなかなかできない。根っから貧乏性なので「贅沢怖い病」である。
金を使うのもそこそこ。会社に命ぜられれば晴れの日に休日出勤。なんとも中途半端だ。
日本人は勤勉、貯蓄好きとして知られる。
給付金の話を見ても、もらった金を散財するなんていうのは少数派で、将来に対する備えを優先している。これはもう国民性といえるかもしれない。
なぜ貯めるのか。
私が考えるに将来にわたって稼ぐ自信がないからのように思える。
植村直己の本などを読むと、グリーンランドなどのエスキモーたちは入った金を瞬く間に使いきる。金銭というものの歴史が浅く、金銭で貯蓄するという考え方がないとも考えられるが、そもそも腹が減れば獲物を獲りに行けばいいという考えである。
散財家の友人たちは、詳しいことはわからないが、かなり「デキる人」たちだ。あれば使い、なくなれば取りに行く。貯蓄に励むのは単に真面目なだけでなく、将来の自分に対する自信のなさが表れている。
夢の散財家になるには良い狩人になるしかないようだ。