クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

火事と喧嘩

もはや師走である。

定例のボルダリングを終え、近くの駅に降りると赤色灯があたりをぐるぐる照らし、商店街に消防車が止まっていた。どうやら商店街の店で火事があったらしい。火はすでに消し止められたのか、現場を紐で囲い、警察官が現場に野次馬が立ち入らないように監視していた。歩行者は気になりつつも現場への立ち入りを封じられているので、囲い越しに覗き込みながらも歩を進めていた。

商店街を出るとさらに2台の消防車が停止していて、少し歩くと覆面パトカーともう1台の消防車が止まっていた。反対側にも2台いて、少なくともこの火事で10台以上の緊急車両が動員されたのは間違いない。

「火事と喧嘩は江戸の華」と言われる。江戸の町が騒然と、そして熱を帯びる瞬間を言ったものだ。並ぶ緊急車両を眺めるにつけてその言葉唐突に浮かんだ。

しかし、本当にそこに私が見たのは平然と見送る市井の人たちだった。

 

火事以上に喧嘩はあまり見たことがない。大概わーわー大声を張り上げているだけで、まあ犬と変わらない。思い返すに関東に来てから取っ組み合いの喧嘩らしきものを見たのは一度だけだ。

確か金曜日の夜に横浜駅へ降り立った時のこと、駅の構内で2人の男を取り押さえている警備員がいた。男2人はまだ若く、1人は茶色に髪を染めていた。深緑の制服を着た警備員は100kgくらいの立派な体躯で、2人の男たちを難なく抑え込んでいて、その前ではもう1人の警備員が「立ち止まらないでください」と通行の妨げになる野次馬を遠ざけていた。

私を含めた通行人はその迫力に圧倒されつつもあたかもそこに何もないかのように通り過ぎていた。

 

昔読んだ江戸川乱歩の『影男』の冒頭、地下の秘密クラブで「闘人」なるものを行うというシーンがあった。「闘人」とは闘犬や闘鶏の犬や鶏の代わりに人が闘う、つまりが今の総合格闘技。物語は、お金持ちの夫人などが集まる秘密社交クラブでこれをやったところ、死人を出てしまう。その後始末をいつの間にか潜りこんだ「影男」と呼ばれる男が買って出るというストーリーだった。

平穏な日常に刺激を求めた貴婦人たちの醜聞を揉み消す。本来平穏を求めて貴婦人なる身分に落ち着いた人々がその平穏を壊すものに魅かれる。

 

 火事も喧嘩も平穏をかき乱すものである。しかし、一方で平穏をかき乱されたいという欲もどこかに眠っている。子どもが台風の到来にわくわくするように、大人もなんとなく流れる日常に大きな渦を作りたいと思うはずだ。相反する想いとともに今日が終わる。

今も昔も「火事と喧嘩は江戸の華」なのだ。