クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

友達の作り方

普段、読書は好きだがマニュアル本やHow to本はあまり読まない。特に自己啓発本のような「こうしなはれ。しないからあなたはアカンのです」といった本は心の負担になるので嫌だ。

ところがスマホになってからは困ったらすぐに検索するようになった。法律から業務用機械まで、行政から名も知れぬ個人の記事まで何でも載っている。

堕落するなぁ、記憶力が落ちるなぁと思いつつも何かと検索してしまう。


しかしネットにはいろいろな情報、虚実曖昧なものが溢れているものだ。それに、書籍なら売れないものは作らないが、ブログなら関係なく掲載できる。このブログもその一つではある。

最近「友達の作り方」という記事を見てみた。「そんなもんにマニュアルはいらんだろう」という意見もあるだろうけど、案外こういう記事が面白かったりする。


あるサイトに「とにかく話しかけよう」と書いてある。まあそうだろうな。

ただ話しかけるのが苦手だから悩む人も多い気がする。長く話せない人はどうしよう。いきなり「友達になりましょう!」という人はいないんじゃないかな。

まあ話ができる相手が友達なのだから、話かけねば始まるまい。


「こんな趣味はいかが?」という具体的な提案をしているサイトもあった。

確かに社会人になって転勤になるとそれまでの人脈や友達関係から切り離されることが多い。趣味が一番共通の話題をもたらしやすい。

料理、英会話、ボルダリングなどなど。職場は利害関係にある集団だから、それとは隔絶された友達がほしいというのも当然の成り行き。

私もボルダリングジムには行くが、静かに壁を見ていることが多い。もっと頻繁に行って、レベルを上げれば知り合いも増えるだろう。友達目的の趣味はあてが外れそうな気もする。過度な期待をしないならいいかもしれない。


SNSやサイトを使うというのもあった。友達作りサイトなんていうのがあるらしい。ちょっとこれはついて行けないぞ。

まあmixiFacebookも友達作りサイトと言ってもいいかもしれない。要はきっかけ作りと割り切れば良いとは思う。ただ、Facebookの“友達”って本当の意味で友達と言えるかはやや疑問だ。ジャイアンが「心の友よー!」と叫ぶのに近いように思えるのだ。単に都合の良い時の友達にされないように気をつけないといけない。


あとは個人的なお話が載っている記事もある。

そもそも友達作りに普遍性はないのだから方法を知りたければ個人的な話を見て自分を勇気づけるというのが早道かも。


しかし、いろいろ見ているとぶつかる疑問が「友達って何だ?」ということだ。学校時代は一緒に昼ごはんを食べるとか、登下校が一緒とかあるが、それでも本当の友達と言えるか疑問になる子も多いという。大人になれば利害関係で繋がる人を友達と呼ぶかも疑問だ。

鴻上尚史さんが「おみやげ」を与え合う関係が友達と書いていた。なかなか含蓄である。ここで言う「おみやげ」とは、物だけでなく言葉や精神的なものも指す。この人の笑顔を見るとホッとする、なんかも「おみやげ」を受け取ったことになるという。

そう言われると、自分は数々受け取っている自信はあるものの、与えている自信はあまりない。「これって、ひょっとして片思い?」という思いも湧いてくる。


さてさていろいろ見ても結論が出ない。最後に個人的まとめを書いてみよう。

私が周囲の人を見る中で、友達と言えるのはシンプルに「尊敬できる人」だと思う。能力が高いという人もいるし、いい性格だなという人もいる。

友達の作り方は人それぞれだが、相手への敬意をビビビッと伝えれば相手も応じてくれるんじゃないだろうか。一方で他人に敬意を持たない人はずっと友達ができないと思う。相手を尊重することに始まるというのが持論だ。

何?そんなに簡単じゃない?まあ私もそんなに友達が多いわけではないよ。