クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

お葬式の思い出

結婚式について少し茶化した記事を書いたが、冠婚葬祭のしきたりはどれも不思議だったり滑稽だったりする。しかし、結婚式というおめでたいものを茶化すのは簡単だが、お葬式を玩具にするのには勇気がいる。何しろ人が死んでいるのだ。

ただ、少し思い出深かったお葬式について書いてみたい。

 

私がお葬式に本式に出たのはまだ数えるほどしかない。記憶にあるだけで、父方の祖父母、母方の曽祖父、母方の祖父くらいだ。親族を除けばお通夜に行ったことはあるが、お葬式はない。

思い出深かったのはこのうち、母方の祖父のお葬式だ。

祖父は大正生まれで、戦中は陸軍士官学校に通い、戦後に国立大学へ入り直し、財閥系の大手企業で定年まで勤め上げたという人物だ。定年後も向学心は止まず、旅行業の資格を取ったり独学で英語を学んだりと精力的な人だった。幼い日の私にとっては観光地へ行くたびに外国人を見つけてはその拙い英語で話しかける姿が大いに恥ずかしかった。

その祖父は私が高校1年生の時に亡くなった。もう肺がんで長くはないと覚悟はしていた。母が慌てて入院先の病院に向かい、祖父は妻と子どもたちに囲まれて亡くなった。その日は私の誕生日で、祖母は亡くなった瞬間「この日まで待ってたんや」と言ったそうだ。

 

亡くなってから私たち孫は呼ばれた。確か兵庫駅あたりの葬儀場だったような気がする。

私や妹は制服で、弟や他の従弟たちも慣れないフォーマルな姿で現れた。お棺に入った祖父を見ると、従弟たちが一斉に泣き出した。私もなんだか無性に悲しくなったが高校生の自意識で必死でこらえていた。

丁寧に化粧をされているせいか、お棺の中の祖父は死んでいるようには見えなかった。祖父はサザエさん一家の波平さんのような人である。頭の禿げ方から頑固さ、囲碁が好きなところなどはまさに波平さんだった。波平さんが死ぬ頃にはタラちゃんは成人しているだろう。タラちゃんは泣くのだろうか。

ひとしきり悲しんだが、私たち孫はまだまだ子どもだ。お通夜で十分悲しむと、すぐに退屈し始めてしまった。何しろ突然召集をかけられたので、勉強道具も暇をつぶす玩具も持ってきていない。葬式本番の日になると退屈はピークに達してきた。

 

お通夜は親族だけだったが、お葬式には普段見慣れない少し遠い親族も訪ねてくる。私は葬儀会場の一番後ろからぼんやりと前から座る参列者を見ていた。

ふと最前列に座る人物が気になった。後ろからだが、見覚えがあったからだ。まだ開始まで時間があったので、後ろの扉から会場を一度出て、前の扉からこっそり覗いてみた。

「えっ!」

思わず声を上げた、扉を閉めた。もう一度クッションの付いた少し重たい扉を開けてみる。

「へっ!」

間違いない。これは間違いじゃない。

死んだはずの「じいちゃん」がいたのだ。私はもう高校生なのだ。祖父の思い出に浸ってその亡霊を見るはずがない。ではあれは何なのだ?

その光景は実にシュールだった。祖父が自分の遺影の前に座っているのである。ドリフのコントでありそうな設定だ。

私は半ば本気でお棺に祖父がしっかりと入っているのか確認しようと思った。この状況は何なのか。私は母たちがいる控室にふらふらと向かった。

 

他の従弟たちもこの「異変」に気づいていた。みんな「あれは誰や?」とささやきあっている。1人の従弟が勇気を振り絞って私の母に訊いた。すると母はこともなげに

「ああ、あれはおじいちゃんのお兄さん」

と答えた。「えーっ!」とその時私たちは驚いた。祖父は末っ子で、上に10人くらいの兄弟がいたと聞いたことがある。ただ、末っ子なので上の兄弟はみんな亡くなっていると思い込んできたし、なにより祖父は自分の兄弟の話をしたことが一切ない。

母によれば参列者席にいたのは祖父の双子の兄だという。そう聞けば似ているのはもっともだ。祖父は昔気質の人で、双子は「畜生腹」、つまり犬猫と同じだと思っており、人には隠していたらしい。それはかわいがった孫たちにも同様だった。

サザエさん一家の波平さんにも双子の兄で海平にいさんがいる。こんなところまで同じだったのかと妙に感心し、前日の悲しみをすっかり忘れていたのだった。

 

お葬式は滞りなく終わり、私は翌日から何事もなく学校に通った。

それから2ヶ月後、葬儀に来ていた双子のお兄さんが亡くなった。お葬式の時はどこも悪いように見えなかったし、本当に突然という感じだった。双子には他人に隠していても不思議なつながりがあるのだろうか。

祖父が死ぬまで隠し通した双子の事実だが、それからこの二人の法事は同時に執り行われるようになった。