クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

敗退の山

気が付いたらもう2ヶ月も山に行っていない。

「まだ登山やってるの?」と訊かれると「やってますよぉ」と応えるものの、現在は開店休業中といった具合だ。そろそろ行かないと登れなくなりそうで怖いのでとりあえず通勤時に駅まで駆け足をして運動不足を補っている。

ただ体力とかもそうだが行かないと免疫がなくなる気がする。体が山に負けるのだ。

 

登山を完遂せずに途中で引き上げることを「敗退」と呼ぶ。これは登山を始めてから知った。

山と戦うわけでもないのに「敗退」と呼ぶのは、ヨーロッパにおいて登山が軍事的な意義を持っていたことに由来するからである。ハンニバルもナポレオンも山越えを成功させることで戦略的な優位を築いた。古来から戦争はポジションの奪い合い、つまり移動能力が勝負の鍵となっている。山のような場所で素早く移動することはそのまま勝ちにつながるポイントだと言える。

 

日本は山がちな地形であるにもかかわらず、ヨーロッパのような近代登山は勃興しなかった。山は主に杣人や猟師の生活空間であったり、修験者の修行の場であった。山城は古来から防衛拠点としてあるものの、里から生活物資を送るなど最低限の利便性を確保した、いわゆる里山に限られている。

山越えで有名なのは厳冬期の北アルプスを横断したという佐々成政だ。これは織田信長が本能寺で斃れた後、豊臣秀吉に攻められた成政が徳川家康に救援を求めるために北陸から静岡へ赴いた。移動距離からすると、トランス・アルプス・ジャパン並の驚異的な行動であるものの、これは「お遣い」であって軍事行動とは言えない。

軍事行動という意味では源義経鵯越の逆落としが有名であるもののあまり例を見ない。日本の山は樹木が多くて大人数で移動しにくいからかもしれない。

日本の近代登山は明治時代に入ってからウォルター・ウェストンなどのイギリス人によるものが大きい。ヨーロッパの登山用語が流入したことで、日本の登山もこれまでの信仰や生活から「戦い」へと変わった。

 

私も登山に行って何度か「敗退」している。

一番印象的な敗退は7年前の夏に行った山行で、上高地から槍ヶ岳へ登り、大キレットを経由して奥穂高岳まで縦走するのが当初の予定だった。

キレット槍ヶ岳穂高岳をつなぐ尾根で、一般ルートの中では最高難度が付けられている。最高難度と言っても、落ちたら死ぬという話だけで、難所にはボルトや梯子がかけられているので極端な身体能力は必要としない。ただ、ルートが長いので悪天候に捕まると危険が高まる。大キレット縦走の成否は天候と体調によるところが大きい。

8月のお盆休み真っ盛りの時期に初めて上高地に足を踏み入れた。人の多さに驚く。

1日目は昼ごろに上高地をスタートしたので、梓川沿いを歩いて横尾で1泊。2日目は槍沢から晴天の中で鈴なりに人が並ぶ槍ヶ岳に登った。頂上に立ったころから少しずつ雲が沸き始めたものの、2時には大キレットの端部となる南岳小屋でテントを張ることができた。

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槍ヶ岳頂上より穂高岳、大キレット方面を望む

 

天気予報では3日目の午後から天気が崩れ、雨が降り出すとなっている。当初は早朝に出発し、核心部を抜ければギリギリこの大キレットを縦走が達せられると考えていた。しかし、夜中から風が強く吹き、昨日までの好天は何だったのかと思えるくらいに空は不機嫌な表情となっていた。

時間との勝負だ。顔を引き締めて南岳小屋から下降を始める。下降を始めてわずか20分くらいだったと思う。冷たい風が吹きあがってきた。

「うっ!」

と声が出た。夏とは思えないヒヤリとした風。風の冷たさより背筋が寒くなる感覚があった。

次の瞬間、サーッと細かい雨が降り注いだ。

「これはダメだ」

瞬時にそう悟り、慌ててレインウェアを着るとガレた道からの撤退を始めた。南岳小屋に引き返すと身体は芯から冷え切り、しばらく小屋の入口で休憩せざるを得なかった。

その日は結局南岳から天狗原経由で横尾、徳沢へ下山し、徳沢にテントを張ったものの、随分時間を持て余した。もう上高地から下山もできたのだが、帰りのバスは翌日に予約していたので、停滞せざるを得なかったのだ。

 

はっきり言ってこれは大した山行ではない。夏の一番良い時期に北アルプスに行って、予想より少し早く悪天候が訪れたので諦めて撤退しただけだ。

では、なぜこの山行を取り上げたかと言えば「敗退」が印象的だったからだ。この時まで私は山ではっきりとした敗退を決意したことがなかった。なんとなく無理かなと思って引き返したことはあるものの、「決断」と言えるようなはっきりとしたものではなかった。

しかし、この時は敗退して雨が降りしきる中で下降を続けていくうちに、今回の「敗退」は間違いではないと感じるようになっていた。雨が激しくなり、身体が振られるような風が吹く中では「敗退」は正解であり、。あのまま突っ込んでいたら大キレットの核心部で振り落とされただろう。

敗退にかかわらず感じた充実感がなぜか忘れられなかった。

それはこの「敗退」という決断の時に初めて山そのものを感じ、山には勝てないことを悟ったからかもしれない。

所詮、人は山に勝てないのだ。