クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

最近、運動不足なので自宅から新宿まで走ってみた。事前にGoogleマップで確認すると23kmあるらしい。

中央線沿いに走ると三鷹とか吉祥寺とか聞いた名前はあるものの、駅前に近づかなかったので、町としての印象は特にない。というか日本の町には本当の意味で個性はない。作られた街並みか、取り残された街並みがあるだけだ。

杉並区、中野区と23区に入ると、ますます個性のない建物が増えてきた。途中で迷って距離が伸びたせいか、運動不足のせいか、中野で走るのをあきらめ、歩いて新宿を目指す。

「新宿区」という看板が出ると、たちまち周囲はビルに囲まれた。空が極度に狭くなった。

JRの高架をくぐると3つの毛布が横たわっていた。毛布の傍らには赤い漆器の器が置かれていて、汚れてピンクから灰色に変色した毛布の主はいるのかいないのかわからない。

最初、漆器を置いている意味がわからなかったが、中をのぞいてようやく意味を悟った。赤い器の口の中には10円や100円が何枚か転がっていた。

 

独り暮らしを始めた時、食器は実家で使っていないもの、余っていたものを何枚か拝借していった。1人ではそんなにたくさんの器を必要としない。

その後、古くなって割れたり、うっかり落下させて割ったりして数はどんどん減った結果、らーめん鉢1つですべてをまかなうようになった。

朝はご飯に野菜炒めを載せたり、前日の汁の残りをかけて食べる。夜も大差はない。おかずとご飯を一緒に盛って食べる。刺身などの時だけ平皿を出す。

器は1つあれば食うことはできる。しかし1つもなければ食うのに大変不便だということは私が生活していくうちにわかった1つの真理である。。

 

日本の歴史は約1万年前の旧石器時代から始まったとされる。

しかし、日本を日本たらしめるのは土器の登場だろう。衣類や金属の登場に比べて日本における土器の登場は早い。その後も遺跡で発見されるのは土器や陶器、瓦などの焼き物が多く、日本の歴史はすなわち土器の歴史と言い換えてもよい。

数年前に熊野古道小辺路を歩いた時、昔の茶屋跡で幕営をしたら、あちこちに茶器の破片が転がっていた。

地図ではここに水場があるということだったが、その日の夕方さんざん探しても見つからない。茶屋があったのだから水場もあるはずだ。結局、見つかったのは使えそうな白い陶器だけで、肝心の水は伏流でもしてしまったのか見つからず、同じ場所に幕営した男性に少し分けてもらった。

水で苦労している中で水をすくう器が妙に印象的だった。茶屋で使っていた器だろうか。それともそこを通る旅人が持参したものだろうか。

いずれにせよ、水とともにその器も旅人をいくらか支えていたに違いない。

 

その高架下の3人のうち、器を出していたのは1人だけだった。なぜ他の2人は器を出していないのかはわからない。

その赤い器が高架下に横たわるその主の生命をいくらか支えているのだろうか。