クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

ものぐさ経済論

4月から仕事が忙しくなるにつれて食事がひどく単調になってきた。一番多いのは寸胴鍋に湯を沸かし、生姜と塩で野菜や魚・肉をぐらぐら煮るだけ。味に変化を付けたい時はニンニクやハーブソルト、オリーブオイルを加えたり、白だしを入れて和風にしたりする。

毎日自炊は面倒ではないかという意見もあるだろうが、私は毎日外食する方が面倒だ。野菜をざく切りして米を炊くだけなら20分でできる。慣れれば帰宅してシャワーを浴びつつ、着替えつつ、食事を作って食べるまで30分くらいで完了する。

とにかくできるだけ寝たいという「ものぐさ願望」のなせる業なのだ。

 

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全自動掃除機「ルンバ」は「ものぐさ」の発想から生まれたものに違いない。

「あーあ、家出ている間に誰か掃除してくれないかなー」

という願望をそのままかなえてくれる。

その頃、吸引力やクリーンな排気など、高性能化に執着していた日本メーカーは「働き者」の発想で製品開発を行っていたとしか思えない。毎日掃除機の開発をしていれば、必然的に掃除機が好きになり、掃除が好きになる。そして「日本人はきれい好きだから、掃除が好きに違いない」と考えるようになる。さらに「きれい好きの日本人に支持される掃除機なら世界にも通用するに違いない」と論理は飛躍していく。

ところが、世の大半の人は掃除なんか嫌いなのであり、「そこそこ」きれいになれば十分で、そのニーズをいち早くつかんだ商品がヒットしたわけだ。

 

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会社の同僚(20代半ば、女子)に「ものぐさ」がいる。

休みの日に何をしているかと訊くと

「合コン行かない時は家から出ません」

「部屋で本でも読んでるの?」

「本ってめくるの面倒くさいじゃないですか。YouTubeならめくらなくていいんで、寝たまま見てます」

ここまで来ると落ちた餅を拾わない本家「ものぐさ太郎」と争うくらいだ。そんな彼女が動かないわりに今のところ太らないのは「食べるのも面倒くさい」からだと言う。

 

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 今更だがAmazonはすごいと思う。今から十数年前、Amazonと言えば「どんなにマニアックな学術書でも買うことのできる本屋」という認識だった。それが数年前には「どんなものでも注文できる万屋」になっていた。

私も一眼レフカメラ、本、データサーバー(会社の備品)などいろいろを買った。店舗で買うメリットは手にとって見れる、すぐに手に入るといったことがあるが、考えてみれば多く工業製品は手に取ってから購入しなくても良いし、データサーバーなんて重くて持って帰るのが煩わしい。

ワンルームマンションで暮らしていた時は段ボールの収集場所にしょっちゅうAmazonの文字を見た。そのマンションは単身赴任が多く、車を持っている人はかなり少数なのだが、地下鉄駅から徒歩3分なので日常的には必要ない。しかし、少し大きめのものを購入すると持ち帰りは不便なので宅配込みのAmazonは非常に重宝されていたようだ。エントランスではヤマトの配達員としょっちゅう遭遇した。

私は受け取りが面倒なのでたまにしか使わなかったが、家から出たくないものぐさには非常にありがたい存在には違いない。

 

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発明品というのは「こんなのあったら便利!」という発想から生まれるのだろう。ところが、ここ最近の発明品は便利ではなく、手間を省く、「ものぐさ発想」から始まっている気がする。

大前研一さんの本にしばしば「低欲望社会」という文言が出てくる。今の若年層はマイホーム、マイカーに興味はなく、食事も簡単に済ませる。私はこれらの条件には思い切り適合した人間となっている。

一方で、個人資産のほとんどを所有する高齢者も「長生きしたらお金が足りなくなる」など何となく将来に対する不安を抱えていてなかなか貯金を切り崩したりしない。そして、定年後はお金のかからない趣味として山歩きなどを始めたりするのだ。山歩きをする点においては私は高齢者側にも属している。

 欲望が少なくなっている現代における需要は「こんなもの欲しい!」より「こんな面倒なことしたくない!」の方が多くなるように思える。バイタリティーに溢れる人が「どうだ!」と開発しても活力のない人には響かない。電話帳みたいな取説の付いた家電などその典型だ。私などいまだに冷蔵庫の扉に付いたボタンの意味を理解していない。多分、特定の引出しで急速冷凍とかできるという機能のような気がするが、分厚い取説を読まないといけない段階で嫌気が差していまだ放置している。

 テレビのリモコンも多機能だ。私のようにテレビを持たない人間は実家に帰るとDVDの見方もよくわからない。パソコンのセットアップはデスクトップ・ノートとも何度もやったので大丈夫だが、自宅にはないテレビの操作方法をいちいち覚えるのが面倒なのだ。

iPhoneを初めて手にした時に感動したのは、便利さではなく取説がないことだった。「噂には聞いていたが、本当にないんだ」と。全世界的にはAndroidが主流だという。私見だが、日本でiPhoneが人気なのはデザイン性もさることながら、操作のわかりやすさではないかと思う。Androidの汎用性より頭を使わずに使えることが日本でヒットした要因ではないだろうか。

 

日本人は勤勉だと言われる。しかし、仕事熱心な人が開発した商品やサービスが必ずしも優れているわけではない。仕事を愛するがあまり、複雑で使い手の意識が及ばないほど高機能になっていたりするのだ。

時々は「ものぐさ発想」になって考えてみると面白い発明が生まれるのではないかと思ったりする。