クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

指輪ころころ

「昨日、婚約指輪を買いました」

ある朝、いつものように定時より1時間以上早く出社すると29になる後輩がそう話した。

「へー、どんなのにしたん?」

指輪の価値などわからないがとりあえず訊いてみる。

「銀座の○○というお店で買いました。もう彼女がほしいと言うままに。ダイヤの入ったので、0.7カラットらしいです。これです」

彼は携帯の画面を差し出した。0.7カラットとされる少し大きなダイヤを中心にそれより少し小さなダイヤが8つばかり列を連ねている。

「いくらした?」

「70万です」

「結構したねぇ」

直近、結婚した従妹が彼に50万円のティファニーをねだったと聞いていた。その従妹のダンナ君にはかなり厳しい出費だったが、愛する妻のためにATMに走ったらしい。

私が陰で「リッチ君」と呼んでいるバブリーな後輩はいとも簡単に従妹夫婦を軽く棒高跳びしてしまった。

「こんなものはほしい物をあげないと。彼女は普段使いすると言ってました」

私からすると、言うがままに買ったリッチ君より70万を普段使いする彼女の方が驚きだった。


指というのは男女で最も価値観が分かれる場所のように思える。マニュキアをしたりネールサロンに通ったりと、女性は爪のケアに余念がない。

男からするとあれが理解できない。爪は伸びるものである。自然に伸びる度にケアするのは面倒ではないかと思うのがものぐさの発想なのだが、どうなのだろう。

おまけに爪は髪型や服装と違って本人しか見えない。つまり自己満足の性格が強いのに、なぜそんなに執着できるのだろう。

話が逸れたが指輪にもその傾向が見て取れる。指輪は基本的に着けている本人が一番目にする。イヤリングやピアスが本人から見えないのとはちょうど逆だ。

どんなに素晴らしい指輪をしていても他人には気づかれない可能性も大いにある。指輪は着ける人を彩るアクセサリーではなく、着ける本人のためにある。女性は自分が綺麗だと思うことに最大の価値を見出すそうだから、男が理解できないのも無理はないのかもしれない。


男で婚約や結婚指輪以外の指輪を着ける人は珍しい。私なんぞは登山やクライミングで邪魔になりそうなので、今から指輪を忌避している。ボルダリングを始めてから、指の関節がやや膨れているので、迂闊に着けると外れないという危険性もある。何より生来うっかり者なので、失くさずに生涯添い遂げる自信は全くない。

試しに「結婚指輪 なくした」とGoogle検索に入力してみると、結婚指輪を紛失した時の対処法という記事が出てきた。結構いるのかもしれない。

対処法と看板を掲げながら、前半は失くさない工夫が書かれている。「水仕事で落としやすい」とかあるが、言われなくてもわかる気がする。

さて、肝心の対処法。

1 遺失物届けを出す

2 排水溝を探す

3 同じものを買う

これのどこが対処法なのかわからない。1は常識的過ぎる。というか大概あんな小さなものは失くしたことにしばらく気づかないものではないだろう。2もとりあえず探すという具合。3はもう諦めたという感じ。

総括すると、失くさない方がいいということになる。


70万の指輪を普段使いすれば、当然失くす危険性はあるだろう。失くさないためには着けないで金庫かなんかにしまっておくしかなさそうだ。

しかし、金庫の指輪はもはや指輪の本分を果たしておらず、ただの値段の高い輪っかである。それなら失くしてもいいから着ける方がなんだかポジティブだ。

そんなことをうだうだ考えたのだが、70万円をかけるなら私は1ヶ月くらい好きに旅行したいと思う段階で、指輪を着ける資格がないと感じるのだ。