いよいよ今年も暑くなったので沢登りに行ってきた。熱心な沢ヤは5月くらいの雪渓が残る時期から活動を開始するらしいが、私は水遊びに出かけているのに過ぎないので、沢に入るのはもっぱら8月だけだ。
いわば大人のプール。いい大人は着衣のままで水と戯れるのである。
週末の天気予報が突然良くなったので、前日に笛吹川東沢の遡行へ行くことを決めた。今回この川へ行くのは2度目となる。
笛吹川は山梨県の川で、公共交通機関で行く場合、中央本線塩山駅から西沢渓谷までのバスに乗ることになる。このバスは冬季休業となるが、シーズン中は毎日行列ができるほどの賑わいとなる。途中に乾徳山というハイキングに手ごろな山もあるし、西沢渓谷からは滝見物や百名山・甲武信ヶ岳へも登頂できる。このバスは1日4本しかないので、週末ともなれば増便が必要となるほどの混雑になる。
もちろんそんなことは用意周到、織り込み済みの私なので、塩山駅にはバス出発の50分前に到着できる電車に乗り込もうと最寄りの駅に向かうと、電車が来なかった。早朝から事故で遅れているらしい。しかしこの時点ではまだまだ余裕である。もともと乗るつもりの電車が来る20分前に駅にいたからだ。しかも塩山駅でも50分の余裕があるのだ。
「余裕余裕」と嘯いていたら電車が来たのは30分後だった。
その後も電車は間隔調整や特急電車の通過待ちを繰り返し、結局塩山駅に着いたのはバスの時間を5分過ぎていた。間隔調整はわかるが、有料特急待ちは少々納得がいかない。後で聞けば、有料特急「あずさ」は2分遅れくらいで運行していたらしい。こっちは1時間以上余計にかかったのだ。ただ、お金を払った方が正確に着くのは資本主義と言えるかもしれない。
それはさておき、バスも電車の遅れを考慮し、到着を待っていてくれたので、予定より10分遅れくらいでバスに乗り、結局10分遅れくらいで西沢渓谷のバス停に着くことができた。
バスを降りるや沢に向かう。入渓ポイントはつり橋を渡った西沢渓谷の探勝路の入り口あたりとなる。山梨百名山に選ばれている鶏冠山の登山口とも重なるので、河原までも下りやすい。しかも笛吹川東沢は沢の中ではかなり人が多いので、人跡未踏はおろか人跡だらけなのだ。沢初級者の私としては心強くはある。
ちなみに入渓ポイントで前回は眼鏡を忘れるというミスを犯した。パッキングして詰めなおすときに石の上に置いたらしい。今回は沢足袋を履いて荷物を収めると周囲を2度見てから沢に入った。
入渓ポイントから山の神と呼ばれるポイントまではほぼ沢伝いではなく巻道を伝って行くことができる。そこからは川の中の歩きやすいところを辿って川をひたすら遡ることになる。
人気の多い川なので、あちらこちらにピンクのリボンが付いていて、「こっちへ来い!こっちへ来い!」と手招きされる。ただ、リボンの呼ぶままにフラフラと歩いて行くと思わぬところに深い淵が現れて往生することになるので、むやみに信用せず、自分で判断することが大切だ。
まあ笛吹川はそんな偉そうに書くほどの難易度はない。
天気が良くて増水してなければ、溺死するような深みはあまりないし、難しい部分はたいてい巻くことができる。川の水に足を浸して涼を享けながら、滝を愛でるのが正しい楽しみ方となる。
機嫌良く歩いていると、不意に河原の石の色が変わり始めた。
「??」
一瞬何か分からなかったが雨だ。
なぜ雨が降る?今日は晴れ時々曇りではなかったのか?
空を見ると晴れ間と雲が混在しており、沸き立つ雲から小さな雨粒が落ちている。
どうせ濡れているので濡れるのは良いが、今夜の焚火が濡れるのは痛い。夜は焚火で米を炊き、この間ビンゴ大会でもらった資生堂パーラーのチキンカレーを食べるつもりだったのだ。しかも焚火ができないと今晩と翌朝の朝食がなくなる。
思わず古代のシャーマンに扮して
「日よ!出でよ!」
と叫びたくなった。
笛吹川東沢のハイライトは「魚留の滝」の上部にある滑滝と「両門の滝」である。
東沢から釜ノ沢へ入ると、文字通り魚が遡行できなさそうな魚留の滝があり、その左側を慎重に登ると滝の落ち口に立てる。そこでは滝の部分とは異なり、滑らかな岩の上を水が滑り落ちている。
下の写真は魚留の滝だ。上部が比較的なだらかになっているのが見て取れる。
滑らかな水の流れのところを沢用語で滑滝と呼ぶ。私は水量の多い豪快な滝より滑滝の方が好きだ。
滑滝の部分は両脇に木が生い茂っていて、まるで水の流れる緑のトンネルのような景色で、何か現実感のない雰囲気を含んでいる。
笛吹川東沢のもう一つのハイライトは両門の滝である。
これは二箇所からの流れが一つの釜に集まるポイントで、これもまたなぜ同じくらいの流れが同じ場所に注ぐのか不思議になる場所だ。
甲武信ヶ岳方面へはこの二つの滝のうち、向かって右の東俣を遡行することになる。
わたしは両門の滝を越え、さらに薬研の滝を越えたところで宿泊することにした。時刻はまだ13時だ。
まずは雨に備えてツェルトを張り、焚き木を集める。雨は止んでいたが湿度が高いのが肌でわかる。とにかく早く焚火をしたい。
焚きつけには新聞紙を持って来た。濡れた木で焚火をするには固形燃料を使うという裏技もあるものの、晴れると信じたため、たまたま「お試し」で投函されていた東京新聞を持ってきたのだ。
しかし、この新聞紙で火がつかないと死活問題となる。大袈裟かもしれないが、食料はビスケット、歌舞伎揚、柿の種少々と米一合半に資生堂パーラーのレトルトチキンカレー。このチキンカレーは先日の長野旅行の夜、ビンゴ大会でもらったもので、これを楽しみに登って来たと言っても良い。
焚きつけの東京新聞はライターで火をつけると豪快に燃えた。炎を吹き上げ、木に燃え移るのは時間の問題かに見えた。
しかし、木は細い部分がチリチリと焦げるばかりでなかなか燃えようとしない。
「ガンバ!ガンバ!」
と声援を送るが、白い煙を上げるばかりだ。たちまち灰になったのは新聞紙だけで、枝は少しばかし黒くなっただけだった。
それでも息を吹きかけ、さらに新聞紙を投入し、を繰り返しているとようやく焚き木の下から白い煙が立つようになった。完全ではないが火がつきつつあるらしい。思わず凱歌を上げたくなる。チキンカレーまでもう少しだ。
持って来た焼酎をちびりちびりやりながら待つ。晴れなくても焚き木ができて、酒が飲めて、飯さえ食べられれば十分だ。
そんなことを考えていたら、またしても雨が降り出して焚火はたちまち鎮火してしまった。
結局、夕食は米となった。
焚火の前に米は水に浸けておいたので、食べるしかなかったのだ。それに食料も乏しく、無駄にできない。
生米を齧っていると、なんとも言えない虚しい気持ちになる。かつて飯炊きが下手だった頃はよく失敗して焦げ焦げと半生の米を食べたが、暖かいのが救いだった。今回は火もないので冷たく固くて味のしない物体を啜り、18時過ぎには寝てしまった。
2日目は5時に出発。慎重にルートを見極めて沢を詰める。
前回は右に登るところを左手の沢を詰めて窮地に追い込まれた。沢を詰めると甲武信ヶ岳の山頂直下に伸びる砂地に出て、登れなくなったのだった。幸い砂坂をトラバースして、灌木にしがみつき、そこを乗り越えると登山道があり、あっという間にストレスのない空間に投げ出された記憶がある。
今回は同じ轍を踏むまいと先人の付けたリボンなどの痕跡を見つけながら進む。
沢がもう枯れそうなところに差し掛かると、右手にピンクリボンが見えた。ここから登れということらしい。
しかし、この時点で私は気づいていた。左手に甲武信ヶ岳が見える。正規ルートは甲武信ヶ岳直下にある甲武信小屋に出るので、甲武信ヶ岳そのものは見えないはず。見えるのはすなわち目標の場所より右に登ってしまったのに他ならない。
まあ登ってしまったものは仕方がない。そう割り切って灌木をかき分け、太い木を避けながらとにかく上を目指す。登れば必ず奥秩父の縦走路に出る。
ただ、今回最大の誤算は焚火とともにこのルートだった。シャクナゲはそれが務めだと言わんばかりに立ち塞がり、そこを越えて少し行くと再びシャクナゲのバリケード。すぐ近くに見える稜線が異様に遠い。
ただ、迷っているという感覚がなかったことは大きかったかもしれない。現在地はおおよそわかる。さらにこのシャクナゲにも記憶があった。
3年前に西沢渓谷から鶏冠山に登った。鶏冠山から鶏冠尾根を辿ると木賊山に出る。その時も猛烈な藪漕ぎをさせられた。その時の感じと今回はよく似ていた。
誤算ではあったものの、落ち着いて歩を進めていると、記憶通り木賊山の標識の裏にひょっこり出た。