クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

ちょっと贅沢

今年は天候が不順なのでお盆は実家に帰っていた。そして珍しく兄弟が揃うということで連日いろいろご馳走してくれた。

それにしても我が両親は60を超えてもよく食べる。4人で焼肉を食べに行ったら、締めのご飯物を除いてほぼ全員が同じくらいの量を食べている。しかし、これまで私が幼いころは焼肉は高くつくので家であまり性能のよくないホットプレートで焼いていたことを考えると、大変な贅沢である。

そうなると今まで節制を叩き込まれた我が人生は何だったのだろう。最近贅沢についてはしみじみと考えることがある。

 

「今日は帝劇、明日は三越」というのが昭和初期憧れの贅沢であるが、帝劇は後に残らない贅沢、三越は後に残る(物が残る)贅沢と言える。

私が陰で「リッチ君」と呼んでいる会社の後輩は「残らない贅沢派」で、彼の家の中で最も存在感があったのは楽天セールで買ったという身長1mのリラックマのぬいぐるみだった。

それでいて常に貯金がないと嘆くほどリッチな使い方をする。その使い方はというと夏の旅行ではわずか3日ほどでお二人様20万円の旅行を繰り広げたりと、後に残らない泡のようなものである。

彼は物に興味がない。以前はこだわりがあったらしいが、今ではスーツも大丸で安売りしている時しか買わないそうだし、ワイシャツも2000円くらいで十分だという。おまけに私のように登山などの特定の趣味を持たないので、趣味道具に凝ることもない。

しかし、人に物を贈るときには独自の流儀があるようだ。

「いいものはどこで買うかが重要なんです。同じ指輪でも銀座で買ったというのと渋谷で買ったというのでは違うんです」

彼は婚約者のために70万円の婚約指輪を買ったそうなのだが、買う場所にこだわっていた。自分の着るスーツへのこだわりと大違いである。確かに指輪なんかは素人が値段を見極めるのは難しい。そんな指輪だからこそ、どこの店で買ったかという事実が付加価値を加えるのだという。なかなか説得力のある話である。

私のごく身近に「同じものなら安い方がいい!」と主張する人がいて、こちらは婚約指輪を卸売市場のようなところで買った(物はまともだが)話を聞いただけにこの主張はなかなか新鮮だった。

お前はどっち派かと聞かれると、節制・吝嗇な性格なので答えに窮するところだが、自分はどうするかを置けばリッチ君の主張に軍配を上げたい。

 

檀ふみさんは「シャンパンの泡のような贅沢」が好きだと書いている。飛行機はファーストクラスを使い、機内でシャンパンを開け、贅沢を噛みしめながらうつらうつらしているうちに異国へ着いている。さすが女優。一般人はビジネスクラスからファーストクラスへ変えるなら、その分美味いものでも充てようという銭勘定が先に立つ。

私の考えうる限りの贅沢は、下界の暑い夏に2000m以上のテント場で、1缶500円也の缶ビールを片手に、見知らぬ人と山談義をしながら眼前の山に目をやるということだろうか。これをするには片道数千円の交通費と健康な身体と最高の天気くらいしか必要がない。安いと言えば安い。ただ、健康な身体だけは金で買えないので、普段からの精進あるのみである(そんなに精進していないけど)。

結局のところ贅沢は金をかけることではなく、時間を贅沢に過ごすことに尽きる。われもわれもと人が集まる贅沢は、結果的に市場の原理として金がかかり、ニッチな贅沢を求める人(私を含む)は結果的に金をかけずに贅沢をしているものと信じたい。

まあ貧乏性には贅沢に対する耐性がないので、許容範囲での贅沢がポイントだ。

 

お盆休みの終盤、北アルプスへ登山に行った。

帰りの松本駅で、列車の時刻を調べると、鈍行列車は1時間半後、あずさ号は10分置きくらいで出ている。ただし、Uターンラッシュのピークなので、どれもこれも満席。今年からあずさは全席指定席になってしまったので、自由席狙いで待つこともできない。

一番早いあずさ号に乗れば3時間半くらいで着くのに、鈍行を待てば6時間弱かかる。憤怒に駆られそうにになりながら自動券売機で空席を確認すると、奇跡的に30分後の列車に空席があった。特急券は2000円少々だが、3時間近くを金で買うことにし、さらに改札内の駅弁屋で「鳥めし」なるものを買った。鈍行で空腹に耐えながら帰るのと比較すると計3000円くらいの「贅沢」ではある。まあ許容範囲だろう。

そう、私の贅沢の許容範囲は所詮3000円くらいなのだ。

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私にとってのちょっと贅沢