クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

内食の人

会社の費用でセミナーへ行ったら、昼食代に金券1000円分渡された。ただ、ここ最近は1人で店屋に入る習慣が全くと言っていいほどなくなっていて、結局会場の休憩室で持参のおにぎりを食べた。

外食は苦手だ。「苦手も得意もあるものか」と言う人もいるだろうが、苦手なものは苦手なのだ。

幼き日の我が家の「外食」と言えば、餃子の王将、回転寿司、びっくりドンキーの3択くらいだった。なにしろ父親が偏食なので、エスニック料理や創作料理を食べたがらない。それに子どもたちが幼い時期は車での外食になるので、ドライバーである父親は酒を飲むことができない。早食いの父親は自分の分を食べ終わると、子どもより先に酒が飲みたくてもぞもぞ始めるのだ。子どもの方がこらえ性がないのが外食風景というものだが、我が家は全くの逆だった。

結局、パパっと出てきてサッと食べて帰れるところ、出てくる料理の味がわかりやすい店ということで、極めて保守的な3択外食となっていたのである。

 

将棋の丸山忠久九段が今から20年ほど前のインタビューでこんなことを語っていた。

山九段を知らない方のために念のため。永世七冠など20年以上トップにいる羽生善治九段と同世代、いわゆる羽生世代の1人である。大崎善生『聖の青春』の主人公である村山聖順位戦B級1組で深夜に及ぶ死闘を繰り広げたことは今でも伝説となっている。その後A級に昇格し、佐藤名人(佐藤康光、現将棋連盟会長)を破って名人位を獲得した実力者である。

完全に話をわき道に逸らせておいてなんだが、丸山八段(当時)は当時まだ独身なのだが、食事はすべて外食なのだそうだ。まだ独り暮らしを始めていなかった私は、すべて外食で生きていけるものなのかと疑問に感じた記憶がある。

今にして思えば、料理をほとんどしない人は男女を問わず結構いる。駅前の定食屋か牛丼屋でパパっと食べて帰るか、コンビニで弁当なんかを買って家で食べているということも含めて「外食」と呼んでいたのだろう。しかし、「外食」と言えば3択しかない私には「毎食とも外食」は非現実的な生活にしか聞こえなかった。

 

ツーリング自転車を皮切りアウトドアを趣味として始めた私は「内食の人」となった。

最初の課題は鍋で米を炊くことである。最初はずいぶん失敗して、半生状態の米を齧ったこともあるなぁ。たかが御飯でも失敗することがあると、成功した時の御飯がより美味しくなる。

登山を始めてから知り合った仲間はみんな家事ができた。その仲間には、10年程度は独り暮らしをしていて、単独登山を厭わない、テント泊が好きという共通した特徴がある。単独でのテント泊登山が好きということは、計画から準備、現地での食事まで自分でやらなければならない。逆に言うとすべて自分でやるのが好きな人たちなのだ。

勝手な意見だが、登山の中での食事を自炊にするか、小屋の食事を利用するかでその登山の完成度が少し変わる気がする。登山とは山まで自分が動くことであり、動くためには食べねばならず、食べるものを自分で運ぶこともまた登山の一要素を占めているように感じるからだ。

テント泊か小屋泊というところでは私は食事ほどこだわらない。小屋を使うのも整備されたテント場を利用するのも誰かの力を借りているという点で変わらないからだ。しかし、小屋泊でも私は自炊をすることが多い。食事も登山の一部と考えているからで、そこで食事を提供されなければ登れないという状況を作るのは何か残念な気がしてならないのだ。

 

10月から消費税が増税されると外食は10%、内食は8%となる。山小屋ご飯も値上がりするのだろうか。ますます外食が遠のきそうだ。

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黒百合ヒュッテでのテント食