人が山に登れば「仙」となり、谷に下りれば「俗」となる。ただ、今回の縦走は日本第2と第3の高峰である北岳と間ノ岳に入ると一気に俗気が増してしまう。
2999mの三峰岳から間ノ岳の頂上へ向かうと今までが何だったかという喧騒が押し寄せてきた。北岳から間ノ岳、農鳥岳の白根三山縦走へ向かう登山者はとんでもなく多いようだ。2日目も朝から快晴で、雲海の上に富士山、八ヶ岳、穂高岳などが浮かんでいる。日の出までの一瞬の静寂と厳かな陽の光が差した後は、まだ残暑のギラギラした紫外線が肌を突き刺し、痛いくらいに暑い。天気予報は2日目が途中から雨だったのに、少し予報が外れたようだった。
絵に描いたような夏の縦走登山。昨日のように誰かと会話を交わすこともなく、黙々と歩く。人が多いほど口数が減り、孤独感が増す。
北岳へ着いたのは10時前。2泊3日の予定が、これで登山が終わってしまったと感じた。もう一泊してもよいだけの食料を携えてきているものの、ここからは広河原まで下るだけとなる。
北岳を広河原へ下山するためには草滑りと言われる急坂と大樺沢と言われる沢ルートがある。私は沢ルートを選んだ。暑いので沢ルートの方が風が通って涼しいと考えたからだ。
北岳から下りて俣への分岐を過ぎると、髭面の3人組が登ってきた。短髪、髭面で、腕に刺青のある、ちょっとヤンチャ、ちょっと凶悪な雰囲気の3人。
分岐から少しから行くと、その3人組が登ってきた。
「あれ、八ヶ岳かな?」
「そうじゃない」
「すっげー!」
すれ違い際に先頭の男が話しかけてきた。
「分岐まであとどのくらいですか?」
「あと少し、十数メートルです」
と答えると、
「くっそー!あのオヤジ騙しやがった!」
と風貌通りの凶暴な言葉を吐いた。しかし、私の目にはその「イカツイ3人組」が妙に可愛げをもって見えるようになっていた。
髭面で、野球帽といった感じのキャップを被っている。ウェアはガチガチの登山用品ではなくカジュアル・アウトドアという雰囲気。3人のうち最後尾を歩く男のTシャツから伸びる両腕には黒い入れ墨が見える。
この連中は普段何をしているのだろう。公務員や銀行員ということはあるまい。ミュージシャンか、若者向けのちょっとしたバーかイタリアンの店でも開いているか。いずれにしても昼間の仕事ではなさそうだ。
この3人組がどのような過程を経て北岳にやって来たのかは妙に気になる。
「先月富士山に行ったし、またどこか行こうぜ。わざわざ靴買ったんだし。俺の15000円もしたんだぜ」
「日本一の富士山登ったんだし、次は二位がいいんじゃない?」
「二位ってどこだよ?」
「知らねえよ」
「どこだよ?」
「山梨。意外と近いな。行けんじゃね?3193mだって」
「富士山は3700だろ。600mも低いじゃん。楽勝っしょ!」
とか仕事終わりに飲みながらワイワイとやって、次の日曜日に行こうと決めたんじゃないだろうか(勝手なことを書いています)。
下るほどに暑くなっていく。風はあまりなく、樹林帯に入るとわずかに冷たい空気が残っているのが救いとなった。
私の後ろに座ったのは会社の同僚4人組で、仕事や社内の噂話を延々と繰り返していて、眠いのに寝られない。山から下りてきてすぐに俗っぽい話を聞かされると頭がクラクラした。
もう少し「仙」の時間を楽しませてくれよ、と私は心の中で呟いた。