クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

写真を飾るということ

ここのところ家具への出費が増えている。

一人暮らしの時には冷蔵庫、洗濯機、ちゃぶ台、マットレスのないベッド、安物の金属ラックとCDラジカセくらいで、必要最低限のものしかなかった。その必要最低限も、洗濯機は10年以上前に亡くなった祖母の家から引き取ったり、ベッドはお客さんから捨ててくれと頼まれた代物だったり。冷暖房も極力控え、よくも今日まで暮らしていけたものだと呆れるばかりだ。

それらを一切合切を引っ越す際に処分したわけだが、そうなると必要最低限も維持はできなくなり、とりあえずは冷蔵庫と洗濯機を買って半年が経過した。これ以上はなくてもなんとかなる。

しかし、カナダに留学していた相方も帰国し、少しは文明人として生活したいという欲も生まれたので、いろいろな家具を買い漁るようになったというわけで、まあ普通の人になろうかというわけである。

 

文明人の第一歩は机と椅子とベッド。次にオーディオラックを買い、ようやく明治お雇い外国人並みの部屋になってきた。オーディオは相方の持参したONKYOの機材が素晴らしいので、音楽に耳を傾けながらチーズとワインを楽しむということができるようになった。

さて、もう一歩文明人に近づくためには芸術に造詣を深めなければならない。芸術とは今をもってわからないが、音楽と絵画が妥当なところだろう。芸術と言えば彫刻とか陶磁器とかもあるけど、狭い日本の兎小屋家庭には到底無理。というか邪魔になるし、燃えないゴミになるし、部屋は狭くなるしでいいことは全くない。

そういうわけで写真を飾ることにした。


写真は構図である。別に有名な写真家が言ったわけでなく実家の母親の話。写真家の西田省三さんも『岳人』に書いていたのでその通りなんだろう。構図は非常に難しい。

写真の撮り方を調べると、素人はどうしても主題がセンターに寄るらしい。確かに私の写真は撮る山、太陽、木がみんな真ん中だ。

先日会ったカメラ大好きおじさんはこうも言っていた。

「逆光から撮れ」

逆光で撮ると、真っ白か影のみになって写真そのものが台無しになる可能性がある。その一方で、逆光を恐れて無難に撮ると、インパクトのない絵葉書的写真になってしまう。その駆け引きが難しい。

そのおじさんはこうも言っていた。

「お前が撮りたいのは何だ?」

これはおじさんの写真の師匠の言葉らしい。ぼかしは撮りたいものを強調するためだけでなく、主題をはっきりさせることにある。撮りたいものがはっきりしている人ほど、逆光に向かって撮り、大胆にトリミングするものらしい。


写真家で好きなのは山岳写真家の白籏史朗さん。『山と渓谷』ではとんでもなく毒舌ながら、適切な評を書いていた。時に「題が悪い」とか「撮影場所が安易」というような、写真そのもの以外の視点で書かれていて、本当にプロの山岳写真家という感じがした。そもそも写した場所に困難な登攀が必要かどうかなんて普通の写真の価値に影響しないところだ。

白籏さんはどうも八ヶ岳の赤岳鉱泉や行者小屋あたりの、困難の伴わないエリアは好きではないらしい。逆に南アルプスのアクセスの悪いエリアに重い機材を持ち込むと、努力の甲斐が得られたと書いている。

山岳写真の良いところは、登山の苦労も多少は評価に入るところである。


最終的に決めたのはこの写真。これをどこで撮ったなんて聞かないでほしい。人の多い一般登山道の早朝なのだ。

これで少しは文明人、いや文化人になれただろうか。

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