クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

山ヤの死と43歳

先日、長谷川恒夫に関する映像を見た。

言わずと知れた登山家と言いたいところだが、故人なので知らない人も多くなるだろう。私も知らない世代だ。

1947年生まれ。谷川岳などで初登攀をした後、マッターホルン・アイガー・グランドジョラスのアルプス三大北壁を冬季単独登攀。その後、ヒマラヤに目を向け、ダウラギリⅠ峰、ナンガパルバット、エベレストに挑戦。

私の父は長谷川恒夫の講演を聞きに行ったことがあるという。

「今度、ウルタルに行く時はこのフルフェイスのヘルメットを持って行きます。雪崩の音が怖いですが、これを被れば聞こえにくいので、ちょっとはマシでしょう」

ということを話していたらしい。

そのウルタルⅡ峰に挑戦し、帰ってこなかった。

 

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奥多摩の長谷川恒夫カップ(ハセツネ)のコース

この長谷川恒夫のライバルとされるのが森田勝。

長谷川恒夫と同じく、谷川岳などで初登攀を行い、ヨーロッパアルプス、ヒマラヤに挑戦する。

佐瀬稔『狼は帰らず』に描かれ、それにインスピレーションを得た夢枕獏が『神々の山嶺』の羽生丈二というクライマーを生み出す。いずれも自己中心的で、自己顕示欲の強い、とても友達になりたくないタイプの男として描かれている。

人づてに聞いた話だけに詳しく書けないのが残念だが、彼にとって最後の山となったグランドジョラスでは純粋に登りたいという気持ちだったという。佐瀬稔が描くように、長谷川恒夫に対する対抗心や世間に対する嫉妬などではなく、クライミングに対する純粋な思いから登り、そして帰ってこなかった。

山登りは実業や金儲けではない。それに命を賭けるのだから、単なる自己顕示欲などでは到底続けられるものではないし、それ以前に恐怖から一歩を踏み出せるものではないだろう。

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森田勝、長谷川恒夫が通い詰めた谷川岳の岩壁

今でもエベレスト登山は世間的には特別なものらしい。累計登頂者は1万人に達しようとしている中でもエベレスト登山家というのは誰もがわかる冠である。

私は講演などを含めてもエベレスト登山家に会ったことはない。しかし、父は植村直己と加藤保男という日本を代表するエベレスト登山家の講演を聞きに行ったらしい。

植村直己はとにかく小さかった」らしい。160cmくらいの父が言うのだから相当小さく見えたのだろう。それしか印象がないのは少し残念だ。

一方で、加藤保男はというとほとんど覚えていなという。写真で見る限りは男前なのだから、その辺りを含めて聞きたいところだった。

 

これら挙げた登山家は大抵四十代の前半、山で亡くなっている。

角幡唯介さんが「魔の43歳」と言っているように不思議なくらいこの年齢で亡くなっている(森田勝は42歳)。

理由は付けられるかもしれない。経験値の上昇と体力の低下。そのバランスを微妙に失った時がその歳なのかもしれない。

ただ、それも外野からの意見であって、本人たちはそれぞれオリジナルの人生を送り、オリジナルな死があったことは間違いない。