クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

岩合光昭 写真展とメメントモリ

梅雨明けしたかというような日曜日、恵比寿の写真美術館に行った。目的は岩合光昭さんの写真展で、メメントモリという特別展を同時にやっているという。

メメントモリとは「死を想え」という意味らしい。その特別展のサブタイトルは「死は何を照らし出すのか」となっている。

冒頭から中世のペストと現代のコロナ、そして生と死について、重たい文章が綴られていて、中世の骸骨が描かれた版画、それから死を想起させる写真家たちの作品が展示されている。

戦争写真やインドの火葬など、少しテーマが飛び散っているような気もするが、重たい空気が流れていた。

さて、そこからひと休みして(テーマが重いし立ち疲れした)真打ち、岩合光昭 写真展へ。

パンタナールという南米熱帯雨林の写真展となっている。岩合さんの写真はいい意味で軽やかだ。今にも動き出しそうな躍動感が美しく、それでいて軽やかに表現されている。

星野道夫の写真の重々しい躍動感とは少し違っているような気がするし、どちらが優れているとも言い難い。

パンタナールのジャガー、ワニ、カピバラ、カワウソ、インコ、サルは生きていた。死を想うようなことはなく、ただ意味もなく躍動していた。そして次の瞬間の死があった。

メメントモリを見た後だから余計にそんなことを考えてしまう。

さて、不謹慎ながら一つ思ったこと。

メメントモリ展で沢田教一の有名な作品、「安全への逃避」があった。ベトナム戦争で何かに追われた母子が水の中に飛び込んでいる。写真の中に戦争を思わせるものは何もないのに、その目がすべてを雄弁に語っている。

その後、岩合さんの写真展でジャガーに追われたカピバラの親子が川に飛び込んで逃げている写真があった。ジャガーの気配を察知し、カピバラ親子が泳いで逃げている。目は黒く何を考えているのかはカピバラしか知らない。

人とカピバラ。違いはあれど…さて何が違うのだろうか。そんなことを思わせる二つの展示会だった。