クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

想像力のスポーツ

少し前の人気番組『クレイジージャーニー』のDVDを買おうか悩んでいる。山にも行けず、週休1日状態の腹いせというやつだ。

テレビのない家庭なので、実家に帰るたびにちょこちょこ見ていてわりと面白かった。しかし、よくよく調べてみるとDVDになっているのはすべての回ではないらしい。竹内洋岳さんの回も抜けている。高度障害でゲロゲロ吐いている画がまずかったのだろうか。

 

竹内さんが「登山は想像のスポーツです」とよく語っている。これは「架空のスポーツ」という意味ではなく「想像力が試されるスポーツ」だという意味だ。ベースキャンプから稜線や頂上を見上げて、天候や登頂ルート、自分の体調を想像する。想像が現実を上回ることもあれば、現実が想像を上回ることもある。ただし、後者が極端になった場合というのは、準備が追い付いていない時であり、危険な状況になる可能性が高い。簡単な例を挙げれば、雪はまだないと想像してクランポンなしで行って、凍結した斜面が現れたら登ることはできない。登れないくらいならまだよくて、登った先で大雪でも降ったら最悪下山もできない。

 

まだ登山を始めて間もないころ、1月に愛媛・石鎚山に行った。2000m近いので雪があることは想定していて、6本爪のクランポンを持って行っていた。背中には1週間の旅行も兼ねた約25kg、80Lバックパックがある。頂上へ向かう途中の避難小屋を過ぎると、雪が急に固くなり階段が雪の下に埋まった。それまでツボ脚で簡単に歩いていたのに、突然の変化である。全くもって予想外で避難小屋まで退却となった。

結局、途中に重い荷物を置き(最初から途中で置いておけばよかった)、後から来たベテランのおじさん、おばさん、初雪山のお兄さんと一緒に弥山と呼ばれるピークと少し先にある険しい天狗岳にも登ることができた。

完全初心者が雪山に登ったという無謀登山なわけだが、無謀かどうかの問題は体力や経験によるものではないことがわかる。単に考えなしに黙々と歩いてしまった結果、登れないところまで行ってしまっただけで、想像力の欠如が原因である。

今でもボーっとしている登山ではちょいちょい失敗する。1月に凍傷になったのなんかはその典型で、頂上の気温や自分の体力に対する想像力が全く働いていなかった。案外登山道をボーっと歩いているときの方がトラブルが多いのは、想像力のスイッチがオフになっているからだろう。

 

野球なんかは、いかにも運動神経や動体視力がものを言いそうなスポーツだが、これも想像力が試されるそうだ。

実は打者はボールの軌道を見ていないのだという。投手の放った球は1秒に満たない間に捕手に到達する。その間に軌道を見てバットを振るのは手遅れで、打者は投手の動作を見て、あとは打つポイントを見ている。球筋なんかは実は見ていなくて、「あのモーション、この腕の振りならこの辺にこんな球が来るだろう」と予測して振っている。予測より速かったら振り遅れ、曲がりが大きければ空振りをする。

良い打者ほど予想が上手なのだという。つまり打者は想像の球を振っているともいえる。

 

すべてのスポーツは想像から始まるともいえる。いや、スポーツに限らないのかもしれない。ビジネスも勉強もわくわくする想像がないと始めようという気にすらならない。

野村克也が毎回、試合を3回していたと語っている。試合前に想像の試合。実際の試合。終わったあとの振り返りの試合。試合前の想像では100%勝つ。ところが実際には想像通りいくわけでなく、試合後に反省の意味を込めてもう1試合を想像の中で戦うのだという。

想像の中でも戦うとは心底野球が好きでないとできないだろう。まあ私も楽しかった山行を思い出してニヤニヤしているのだが。

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日々「忙しい、忙しい」と言っていると想像力がなくなっていく気がする。

ぼんやりと雲を眺めながら想像にふける時間がないと人生を楽しむこともできない。