昨日、図書館に行く途中にちょっとした危機に陥った。
家を出て、駅を越えたあたりで下腹部、ストレートに言うと直腸あたり違和感、もっとストレートに言うと便意を催した。
とはいえ、図書館までは15分そこそこなので、無視して歩き続けたところ、わずか3分後には「爆発まで、あと◯分」というコールがあり(直腸からそんなサインがあった)、慌てて走り出したものの、走ると直腸が刺激され…。
まあ図書館まで、トイレまで先を急いだわけだ。
登山中にトイレに困るということはままある。
最初からトイレのないバリエーションルートは問題ない。人も少なく、どこかで用を足せばいい。問題は人の多い登山道である。
4年前の夏、富山・室堂から薬師岳に向かう2日目にその時は訪れた。五色ヶ原のテント場を出る直前に便意を感じなかったので、そのまま歩き出したら、北薬師岳の手前で便意を感じるようになった。
薬師岳は優美な稜線を南北に伸ばす山である。そのたおやかな山なりと大きな山塊が魅力と言ってもいい。
ただ、その時の私にたおやかさは仇でしかなかった。森林限界を超え、低い灌木しかなく、なだらかな稜線に用を足すような木陰はない。
腹はゴロゴロと風雲急を告げる。
ついに私は登山道を外れ、灌木の深そうなところに身を沈め、パタゴニアの薄手の登山用ズボンを下げた。
わずか1分くらいで用を足した私が灌木帯からのそのそと這い出すとそこに現れた登山者が少し驚いたようだった。
しかし、彼らには何も聞かれなかった。
窮地を迎えるのは登山道でだけではない。排泄行為の問題は、他に人がいるかどうかなので、人がいればすなわち窮地となる。
昨年、山梨県笛吹川の釜ノ沢に行った時のこと、なだらかな滑滝で突如便意が訪れた。
沢というのは登山道ではなく、バリエーションルートに分類される。したがってトイレなど最初から期待できないわけだが、周りは森なので、用を足す場所に基本的困らない。はずなのに、この笛吹川は美しい滑滝などもあって人が多く、私が便意を催した場所は容易に茂みに入れる場所ではなかった。
追い詰められた私は、できるだけ後続を引き離し、彼らが見えないであろう瞬間を見極めて、水が少しずつ流れている部分で…(中略)。
「沢を汚すとは!」
とお叱りを受けそうだ。しかし、一刻も猶予がないのは山も街も同じ。「出物腫物所嫌わず」である。
まあ登山は、人間を動物に近づける、ささやかな行為である。人間も動物であることを再確認する行為と言っていい。
アイドルも私もあなたも糞をするのである。