今さらコロナなんて話題に出しても暗くなるだけだなと反省した。明るいことを考えようということで、今はキャンプの話をしよう。
今年はテント泊を7泊。そのうち5泊は北海道旅行なので、実質は3回とかなり少ない。しかも雨だったり風だったりでコーヒー片手にとはなかなかいかなかった。
キャンプが足りない。
ところが今週、相方は勤め先の学校のキャンプに行くらしい。
小学生の頃、林間学校に行ったことがある。
奈良県・曽爾高原にある林間学校のための施設でこんなところである。
曽爾高原はススキの有名なところで、今が最盛期。ススキの原っぱに囲まれた施設に泊まり、薪で火を起こしてカレーを作ったり、オリエンテーリングをしたり、夜は星空教室があったりした。
林間学校の真打はカレー作りである。
煤がカレーに入った班、飯を焦がした班は、真っ黒いカレーを食べる羽目になっていて見るも無残。張り切って火おこしを早くした班ほど失敗が多く、後からやる班は先の班の失敗をじっくり見学できるから失敗が少ない。飯を焦がした奴は、それでもカレーを頬張り、「めっちゃ美味い!」と強がっていたが。
それでも楽しかった。机上でしか知らなかった星座を生で見たし、鉈で薪を割ったし、火起こしもした。
学校の中ではない生の体験だったわけだ。
今回、相方の学校キャンプはテントで寝袋。食事は子どもが決める。カレーくらいにするのかと言えば、「鮭のちゃんちゃん焼き」にするという。
自立性を重視していて大変羨ましい。
私は相方に「ちゃんちゃん焼きは弱火でじっくりとやった方がいい」と助言したが、子どもに大人が助言することが許されるのかわからない。
まあそれでもいいのだ。失敗して飯に塩かけて食うのもアウトドアの醍醐味なのだ。
アウトドアの教えるものは何か。
それは成功体験ではなく、失敗することだろう。普段は失敗しようのない、食事をすること、雨を避けること、眠ること。その全てを失敗することがある。飯を焦がし、通り雨に降られ、寒くて寝付けなかったりする。
家では当たり前にできることができない。いや次やればできるはず。
だから面白い。
私の考える教育の最終目標は「この世界は生きるに足る」ことを知ることである。わかりにくいなら「この世界は面白い」と感じることと言い換えよう。
親ならば、自分の子どもは少なくとも自分よりは長く生きてほしいと考えている。しかし、その生きる世界がつまらなければ、子どもにとって生き地獄になってしまう。
今年のコロナ騒動で思い知ったのは、人間は危険が迫ると未知の領域を閉ざして、安全と思われる範囲に閉じこもるようになるということだ。感染するかもしれない危険のところに行かない。
それは大人としての良識ある判断に思えるが、結果として子どもの好奇心の芽をつぶし、つまらない世界にしている可能性がある。子どもにとっては学校と家の外には未知の世界が限りなく広がっていて、そこには自分の可能性も隠れているのかもしれない。
キャンプは子どもにとって未知がいっぱいのアクティビティに溢れている。
ぜひとも擦り傷の一つでも作って(大けがは困るけど)楽しんでほしいけど、今私は自分がキャンプに行きたい。