うつ病になった将棋士の赤裸々というより真摯な闘病記だ。先崎九段というのは、若手時代から才気溢れ、トークも軽妙な、タレント性のある棋士である。
棋士としては、タイトルこそ獲得していないが、NHK杯優勝、A級在籍と、トップを争う実力派。羽生世代として、羽生善治、佐藤康光、郷田真隆、藤井猛などと鎬を削った1人なのだ。
タレント性があって、実力もある一方で、飲む打つも好きな、どちらかと言えば「最後の無頼派棋士」で、「そんな人がなぜ”うつ病”に?」というのが私の最初の印象だった。
うつになる可能性は誰しもある。
私も「あっ、危ないかな」ということが何度かある。大抵、楽しくもない仕事が立て込んで、平日は14時間労働、土曜出勤になり、その上評価もされないという具合になった時である。
「そろそろ危ない」となると、防衛本能が働くのか、「山に行かなきゃ!」となるのが私のパターンである。ストレスで酒の量が増え、身体に負担が増えると、肉体が
「山へ行け!山へ行け」
と指示する。
「山ですか。はいはいわかりました」
と応じるものの、疲弊した精神と肉体で行くと、山で死ぬかもしれないので、トレーニングを再開する。
思えば、寸前で踏み止まり続けていたのはこのサイクルがあったからだろう。
上の写真は黒部の水平歩道。5年前に撮ったものだ。
この時は精神的に最悪で、それでも行かないとと富山に向かい、欅平から阿曽原温泉に向かった。
ところがその年は阿曽原から黒部ダムに抜ける下ノ廊下は開通しなかった。そのことは知っていたが、裏劔を抜けようと考えていたら、仮設の橋がもうないことを阿曽原の小屋番さんから聞き、すごすごと撤退した。
事前に調べるということすら億劫になっていたのだからどうしようもない。
精神が危ないと肉体にも良くない。それは誰でも知っているが、登山をやっていると、逆のことが起きることがある。
どういうことか。
身体的に危ないことをしていると、精神的に危ないことから気持ちが遠ざかるので、精神の健康が戻る気がするのだ。
黒部の翌月、まだまだ精神が不安定な中、雪の西穂高岳に行った。
まだまだ気持ちはふわふわとしていて、危ないことをするという緊張感がない。
しかし、冬の冷気に触れ、朝の光を浴び、荘厳な穂高の山並みが見えたあたりから、少し頭が正常稼働し始めた気がした。
『うつ病九段』ははっきりとした”うつ”について書いた話であり、私なんかは軽度も軽度。ストレスチェックで「軽いうつの可能性」と書かれる程度だ。
ただ、その彼岸からなんとか引き返すのに山は欠かせない。先崎さんが将棋でうつ病を克服したように。