クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

投資と投機と賭博の違い

先週は沢木耕太郎『波の音が消えるまで』の1巻を読んだ。

主人公はサーファーの青年で、どういうわけかマカオに行ってバカラ賭博にハマってしまう。バカラとはトランプを使った丁半博打のようなもので、簡単に言うと出たカードの下の桁合計が大きい方が勝ちというものだ。参加者は「庄」と「間」の2者どちらかに賭け、勝った方に賭けると倍になって返ってくる。引き分けなら次の勝負にキャリーオーバーされるが、反対側に同額を賭ければ実質的な「棄権」ができる。

正直言ってこれのどこが面白いのかさっぱりわからない。考えるまでもない勝負のように思えてしまうのだ。2巻以降で面白くなるのだろうか。

ここのところ円安が進んで、さる後輩が「もっとお金があればなあ、ドルに換えて大儲けできたのに」と冗談っぽく言っていた。

以前読んだ本によれば為替を読むのは相当に難しいらしい。ある程度のバランスはあるだろうが、一般人からすると「神のみぞ知る」ような話なのだそうだ。経済学者・野口悠紀雄さんは今ドルを買い漁るのは投資ではなく投機だと警鐘を鳴らしている。

それでは株式はどうかというと投資だ言われる。上がるか下がるかに賭けているような気もするが、どう違うのだろう。

 

ジョン・メイナード・ケインズによれば株式投資は「美人投票の結果に投票する」ようなものなのだそうだ。わかりにくいが、ミスユニバースではなく、人気タレントを当てるようなものだと理解している。ただの優良企業ではなく、将来性豊かな新進企業の方が株価が高かったりするというわけだ。

ところが、最近は業績の悪くない企業の株価が突然下がったりする。理由を見ると、「業績の伸びが鈍化」などとある。期待が高すぎたということらしい。

こうなると投機と投資の違いもよくわからない。

 

賭博は横浜にカジノを作るという話になって、ギャンブル依存症が話題になった。私も身近にそういう人がいたので他人事ではない気がしている。

賭博をする人は儲けることではなく賭けることそのものに夢中になっているようだ。したがって、負けても勝っても賭け続けてしまい、最後に勝つことは絶対にできない。

投資はどうかというと賭博や投機よりやや合理的に判断できる要素がある。ただ、それが問題なのでなくて、中毒性が低いことが違いとなるだろう。

運、不運となると「次こそは」となるが、失敗に原因のある投資は失敗が続くと嫌になってしまう。嫌になれば中毒にならない。

ただ、お金に魔力があるのはどちらも同じだ。政府が言うからと言って安易に「貯蓄から投資へ」を信じてはならないと肝に銘じている。