それにしても毎朝寒い。
別に今年が特別寒いわけでなく、オフィスの喚起口を開けているからだ。私の出社する時間はほとんど人がいないのに開けっ放しである。人が少なくなれば閉めればいいようなものだが、偏執的にコロナを怖がる先輩社員がいて閉められない。そんなに怖いのなら家でじっとするしかなさそうなのだが、仕事熱心なので休日出勤はよくしている
わけがわからん。
そんな意地悪なツッコミはともかく今年はコロナの年だった。年末の締めくくりは総じてこうなるだろう。
こういうことをネタにすると怒られそうだが、コロナ対策に感じた疑問を書いてみたい。
①トレイで現金・カードの受け渡し
手と手が触れないようにというのはわかる。店頭にアルコール消毒液が置いてあるので、消毒すればいいような気もするが、まあそれはいい。
ただ、トレイに載せてからカードを手に取って意味あるのかな。
図書館では貸出カードはトレイに、本は手に取ってバーコードを読み取っていた。カードはダメで本はOK。
どういうことだろう。
②横並び席
パスタレストランに行ったらみんな同じ方向を見ていて不気味だった。
2人で行くとテーブルに横並びに座らされる。カウンターならいいけどテーブルでみんな同じ方向を見るのはちょっと変だ。
お店として最大限の努力なんだろう。
でも客は横を向いて話をしてはいけない雰囲気なのか、妙にしんみりパスタを食べていた。
誰しも仲の良い人とはマスクなしで語ることもあるだろう。対して一律横並びににする意味はというと不特定多数から不特定多数に移さないという効果がある。
特定の親しい人から移されるのは構わないが、不特定の誰かからは移されたくないということか。
意地悪なことをつらつら考えてしまう。
③マスク登山
ランニング中はマスクという人が増えた。皇居ランナーはみんなマスク姿らしい。
あんな人の多いところを走るくらいなら人気のないところを走ればいいのだが、そういうわけにはいかないのが皇居ランナーなのだろう。
登山でも随分マスク姿が多い。
8月の利尻島ではほとんどいなかった。それが10月の谷川岳では半分くらい。少々人がいても都内の電車よりはマシなのではあるのだが、マスクを決して外さない人は結構いた。
移るとか移らないとかでなく、呼気を直接吸うのが嫌なのかもしれない。
最近ジョン・クラカワー『空へ』を再び読み始めた。高所登山の話を読むと息苦しくなる。「酸素が…」なんて本を読みながらマスクをしているとそれだけで酸欠になりそうだ。
低山でもマスクをしての登山が快適なわけがない。しかしながら、普段からマスクをし慣れると、もはやなしではいられないのだろう。
マスク越しでないと息もできないとは、文字通り「息苦しい」世界になってしまった。
来年にはマスクなしで暮らせますように。