クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

石川直樹さんの話

石川直樹さんの講演会に行ってきた。

わりと訥々とした話し方で、スピーチが上手とは感じなかった。ただ、その話し方に慣れてくると、面白い世界観を持つ人だと感じるようになってきた。

以下、興味を持った話と感想を書いてみた。

 

1.『青春を山に賭けて』

会場が東京都立図書館ということで本を軸に据えたトークだった。石川さんは昔から本の虫だったらしい。その中で世界を旅したいと考え、高校生でインド・ネパールに向かい、ヒマラヤを仰ぎ見る。そこで登山をしてみたいという気持ちが芽生えた。

『青春を山に賭けて』は植村直己の代表作である。無一文で英語も話せない青年がアメリカに旅立ち、そこからヨーロッパ、アフリカ、ヒマラヤ、南米を巡って各地の山に登る。しかし、この本はただ山登りを主眼としたものではない。金も技術もコネもない一青年が日本を飛び出して世界を切り拓いていく物語である。

この本に影響されて登山や世界放浪を始めた人はどのくらいいるだろう。船賃を払ってしまえば無一文になる状況で海外に出てしまい、不法就労で捕まって国外退去となるのは明らかにイケナイ人である。角幡唯介さんが「悪性のロマン」と評していたが、まさに夜に光る電球のように若者たちを引き寄せ、人生を狂わせてしまっている。

 

ちなみに石川さんは日本山岳会の主催するマッキンリー(現デナリ)に気象測定機材を運び上げるプロジェクトに潜り込み、初の高所登山を経験する。そして「七大陸の最高峰を最年少で登頂する」という課題に挑むことになる。

 

2.地図をひっくり返してみる。

富山県庁で南が上を向いた地図が売っているらしい。なるほどその地図では石川県の能登半島くらいが日本の真ん中の上にあって、富山県が日本の中心に位置している。その地図を見ながら、石川さんは「この地図を見ると日本海がまるで湖みたいで、大陸と日本の文化的なつながりが見える。」と語った。

なるほど面白い。こうして見ると日本が島国などではなく、東アジアの文化圏と密接につながっているのは明らかだ。しかも、朝鮮半島方面、サハリン・アリューシャン列島方面、沖縄方面など複数の入口があり、入口によって多様な文化が形成されている。

石川さんは「ぼくは登山家ではありません」と断言している。確かに先鋭的な登山者ではない。しかし、だからこそ、作家、写真家、登山家としての活動を通して人類の「文化」が見えてくるらしい。

 

3.43歳

これはあくまで話の脇道。

石川さんは今年43歳になる。43歳というのは冒険業界では鬼門となっているらしい。先に挙げた植村直己星野道夫、長谷川恒夫などが遭難している。最近では谷口けいもこの歳で亡くなった。角幡唯介さんが雑誌『昴』に書いていたらしく興味を持ったと話していた。

冒険というのは「危険を承知で行うこと」である。したがって、続けると死ぬ危険が高まる。ところが冒険者は年齢を重ねるとともに以前の行為より高いレベル、言い換えれば死にやすい活動に踏み込むことになる。その一方で加齢とともに体力は落ちていくので、その損益分岐点が40代前半にやってくるとも考えられる。まあ、上記の人の中でも星野道夫はカムチャツカで熊に襲われてだし、決して体力云々と関係ないのかもしれない。ただ、一般的な厄年と同様に43歳が石川さんにとっても験の悪い年に感じられているのかもしれない。

 

4.ヒマラヤの人々

 最後に直近のK2、ガッシャブルムの登山が話に出てよかった。いくら本人が登山家ではないと断言していてもヒマラヤの話は聞いてみたかった。

ヒマラヤと一口に言ってもエヴェレストで有名なネパールエリアとK2に代表されるパキスタンのバルトロではかなり距離がある。今回の話はバルトロで、こちらには山岳民族のシェルパ族はいない。現地の人をポーターとして雇って、物資を運び上げ、登山に備えるわけだが、ポーターはスニーカーかサンダルくらいでベースキャンプまで登ってくるらしい。登山者よりすごい。服部文祥さんもそれを言っていた。

登山は結局、人の可能性を知る行為なのかもしれない。無酸素でどこまで登れるか。どれだけ装備をなくして登れるか。どれだけ危険に近づいて登れるか。それぞれの行為に究極的な意味はなくとも、人としての可能性を知ることができる。立派な登山靴を履いた横にゴム草履の人がいればなおさらだろう。


まとまりのない話になった。

とにかく旅に出たくなるような講演だったことは間違いない。私も今度はどこに行こうかな。