クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

アフターコロナの意味とは

利尻で知り合ったアメリカ人が来た。文化や育ちの違う人と話すのは刺激になる。

「コロナによってたくさんの人が亡くなっていると言うけれど、コロナがなかった場合に亡くなった人数と比較しないと意味がない」

蓋しその通りである。人間の死亡率が100%である以上、コロナが発生しなくとも人は何かしらの要因で死ぬ。

このあたりが災害でたくさんの人が亡くなることとの違いだ。

 

「コロナで通勤しなくてもよくなった。おかげでぼくは片道45分、往復1時間半を他のことに使えるようになった」

満員電車の通勤は苦行だ。なぜその苦行を強制し続けていたのか。

通勤しなくても仕事になるのなら、今までの苦労は何だったのだろう。

「コロナのおかげで立派なオフィスは必要ないことがわかった」

ホント、高い家賃、ランニングコストを払って企業は何を手に入れていたのだろう。「見栄」なのか。これまでは霞ヶ関に近ければ官庁とのコネクションが築けたかもしれない。しかし、今はZOOMでも「会う」ということになっている。

世界中どこにオフィスがあってもいい。

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大変大変と去年から言われている。

確かに大変な変化が起きた。外食は減り、遠出はできず、給料は減り。

暗い話ばかりだ。

しかし、悪い話ばかりでないではないか。これまでだったら「社員がサボるかもしれないから」という理由で後ろ向きだった在宅勤務も一般化した。変化を嫌う日本企業も変化せざるを得なくなった。外食産業が冷え込む中で、ウーバーイーツの箱を背負った人をよく見かけるようになった。

世の中は常に悪いように進んでいると考えていると自分の人生そのものがつまらなくなる。人生そのものが今を流れる時なのだから。

 

コロナは今の価値観から脱皮するきっかけを与えてくれた。アフターコロナに何が待っているかわからないが、価値観は定期的にスクラップ-アンド-ビルトされるべきなのだ。

"Thank you corona"

そのアメリカ人は言った。