堀江貴文さんのネット記事で「所有欲に縛られると、やりたいことができない」というのがあった。
物議を醸すことの多い人だけに、批判の書き込みは多いようだが、私は「そのとおりだなあ」と思っている。
モノはたくさんあった方がいいというのは「モノ」イコール「資産」イコール「成功」だった時代の考え方だ。
ボクシングの無敗王者メイフェザーはまるでトミカのミニカーように高級車を持っているらしい。こういうわかりやすい所有欲を発揮する人もいる。
ただ、身体は一つなのだから一度に2台の車に乗ることはできない。私のように車は移動手段と割り切っている人間は、たくさん車があるとどれを選ぶか考えるだに面倒くさい。
自動車は移動が目的の道具である。その中で速さや乗り心地や取り回しをこだわるのはわかる。でも何台も持つことを目的にするのはまさに所有欲に任せた行為。自動車の本義としての所有の仕方ではない。
別にメイフェザーを非難するわけではないけど、あんまり真似をしない方がいい(やろうと思ってもできないけど)所業だ。
本来は使うモノなのに、高級であるがゆえに所有することそのものが目的化する。人生を楽しむことが目的なら、ちょっと主客転倒している観がある。それが堀江氏の指摘するところなのだろう。
山野井泰史さんは『山と渓谷』の特集記事で、「道具に愛着はない。山で使って、畑で使って、捨てる」と語っていた。
アルパインクライマーにとってアックスは「武士の魂」みたいなものかと思いきや、ボロボロまで使って捨てちゃうのである。古いウェアとかヘルメットに至っては畑のカカシになっていた。アルパインクライマーのようにこの次の山で死ぬかもしれないと思っていると、所有欲がわかなくなるのだろう。
本気のクライマーは常に「死ぬかもしれない」という意識で生きている。それゆえ、やりたいことがモノへの愛着に優先されるのだろう。
しかし、「死ぬかもしれない」のは我々も本来同じだ。今日やりたいことをやらなければ明日死ぬかもしれない。そう思って生きなくてはと思ったりしている。