私が初めて読んだ登山家の本は山野井泰史『垂直の記憶』だった。
・ヨセミテでクライミングバム(放浪者)生活。その後は北極圏や南米・パタゴニアでのアルパインクライミングを経て、ヒマラヤの高峰を目指す。
本書はヒマラヤでのクライミングを7章に分けて記録している。
読んだ当初はクライミングの知識なんて皆無だったので、情景がさっぱりわからなかったというのが正直なところだ。
しかし、自由だな。この人は純粋に好きなことをして生きている。という印象だった。先人たちを退けた課題をクリアしたいという欲はありそうだが、名誉欲であったり、自己顕示欲で登ったりはしない。
山でも生き方でも余計なものを背負わずに常に登り続けている人だと感じた。
最近になって佐瀬稔『狼は帰らず』を読んだ。
読んでみてわかるのは主人公・森田勝がいかに純真無垢でありながら我儘かということだ。
劣等感から山にのめり込み、仕事や社会的地位を放擲していながら、名声や賞賛は求めてやまない。パートナーを求めつつも、心無い言動で周囲は遠ざかっていく。
この作品は、夢枕獏『神々の山嶺』の主人公・羽生丈二のモデルになるなど大きな影響を与えている。
社会から外れたエゴイスト。不器用山男。読んでいるとあまりお友達になりたくない感じがする。
ただ、果たして森田勝についてこの印象が正しいのかはわからない。
人づてに聞いた話だが、森田勝の最後の山、グランドジョラスについても純粋に登りたかっただけだという。
いくら登山が好きでも名誉欲だけを推進力に登り続けるのには無理がある。登山は他のスポーツに比べて現役寿命が長いのに単純に危険だ。つまり引退する前に死ぬ可能性は多分にある。森田勝も、そのライバルとされた長谷川恒夫も山で亡くなった。
そのリスクを背負い続けるのに、動機が名誉欲というのはあまりに軽い。
理由もなく単純に登りたいという気持ちがなければとても続くものではない。
登山家についての本について徒然なるままに書いてみたが、結論は特にない。
ただ、「純」で「鈍」なのが登山者なのかもしれない。