TCFDというものがあるらしい。
"The FSB Task Force on Climate-related Financial Disclosures"の略らしい。「気候変動関連の財務情報開示をせい」ということみたいだが、何のことかわからない。次々といろんな言葉が生み出されるものだ。
環境問題と言われて少なくとも半世紀は経っている。
その間に自然環境が改善したかと言えば全くそんなことはない。川の水質こそマシになったものの、電気の使用量は増え、川はコンクリートで固められ、森の奥まで道は延びた。
中には自給自足で山菜摘んで、米を作って生きるようになった人がいるかもしれないが、これまでも、今後もそういう人が多数派にはなりえないだろう。
そんな中でSDGsやESG投資が株式業界で流行っている。
「流行っている」などという意地の悪い言い方をするのは、見ていてどうも本気なように見えないからだ。本気ならゴルフなんてできなハズである。森を切り拓き、日本の植生に合わない芝生を維持するために農薬をまき散らすのだから、言語道断。
山登りだって樹木、草花を踏みにじる行為だからいいわけはない。ウェアだって大半は石油製品なのだ。
何をやっても自然にいいことなんてないという結論になってしまう。
環境問題に「解決法」はない。数十億人という単位で膨れ上がってしまった人間の存在そのものが原罪だからだ。
それでは環境保護というのがなぜ流行るのかと言えば、原罪に対する免罪符がほしいということに過ぎない。
「私は環境を破壊する行為で儲けてきた。そこで、少しは環境のためにお金を出すことで許してほしい」
ということなのだろう。
それ自体は全面的に否定されることではない。殊勝な心がけと言えるだろう。
しかし、それをウォール街や兜町、霞ヶ関が大義のように振りかざすのにはどうも違和感がある。
野田知佑さんが、昔役所の人とこんなやり取りをしたという。
「野田さん、川が汚い汚いと言いますがきれいじゃないですか。魚もこんなに泳いでいる」
「何の魚ですか?」
「知りません」
フィールドに入らないで環境問題を論じるのは、通信教育で空手を習うようなものだろう。