クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

魂の震える登山名文集①〜宮城公博

梅雨間近。週末はちょっとランニングするだけでダラダラ過ごしてしまう。

そして山に行きまくっていた頃を少し懐かしく思うようになった。

最近、低山ハイクくらいで山屋というより老後ハイカー。これではいかん、というわけではないのだが、登山者の名文を読んでその魂の叫びに触れてみたい。

まずは『外道クライマー』で有名になった宮城公博の記事。

 

若いカップル、明るい色に髪を染めた女の子たち、会社帰りのサラリーマン。自分とは全く別の日常を過ごしている人たちを見て、正直、少し羨んだ。同時に、全く別の思いが脳内を支配した。適切な表現が見当たらないので、その時、思ったことをそのまま書く。街を行く全ての人や物がまるで汚物のように見えた。

そして「ハンノ木を登らねばならぬ」と強く思った。

『岳人 2014年5月号』

 

同じ文章が『外道クライマー』にもあるのだが、表現が少しマイルドになっているが、文章は初出の『岳人』記事の方が優れている。

話は、宮城さんが冬季ハンノキ滝の登攀を目指すところ。

登ることは決めたものの、当然命の危険はつきまとう。

なぜ行くのか、なぜ登るのか。正直なところ当人も都会でぬくぬくと過ごす方がいい。やっている本人ですら億劫になるし、何より生命の危機を自分自身で招くのだ。

行きたいけど行きたくない。それは無関係な街の人への羨望と嫉妬、恨みとなる。

本文は山には行きたいし、死をあからさまに肯定できない心情の葛藤が見事に結晶化している。

今から50年以上前。谷川岳に散ったクライマーにその葛藤はなかったかもしれない。

1940年代の平均寿命はわずか50年弱。山で死なないでもそのくらいで命は尽きる。クライミングで墜死して惜しい命ではない。それより生きている間にいかに魂を燃やすかが問題だった。

その死生観は医療や平和な時代によって打ち破られる。じっとしていれば80年も生きられるようになってしまい、安易にリスクを冒すことの意味が薄れてしまった。

一体何に命を賭けるか。現代その問いに容易に答えられない時代となっている。