クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

いくつから中年になるのだろう?

ここのところ月曜日は身体が重い。

なぜかと考えるに、平日は忙しいので日曜日にトレーニングでもしようとする。走りまくり、懸垂したり、腕立てしたりする。ついでに本も読みたいし、山道具も見に行きたいしと予定を詰め込む。結果疲れる。

おとなしく家で寝ていればいいではないかという意見もあろうけど、そんなことをしたら腹が出たまごうことなきニッポンの中年オジサンとなってしまい、山でも電車でも大汗をかいてしまう。それは嫌なのである。

 

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南九州を旅した時は「学生か?」と訊かれた

 

人はいくつからオジサン・オバサンとなるのか。これは永遠のテーマである。

昔「探偵ナイトスクープ」で調査してほしいという依頼があった。「探偵」がやるのだから、単にアンケートや街頭インタビューなんていう方法は取らない。1歳刻みでズラリと女性を並べ、純粋無垢と思しき少年に「どこからオバサン?」と訊くのだ。

突然、重要な使命を帯びた少年がズラリ並ぶ女性の前を横切る。通り過ぎると安堵の息をつく女性。立ち止まりそうになると息をのむ女性。そして、最後に少年は足を止めて指をさす。

いかにも残酷な仕打ちに見える。ただ、この企画が巧みなのは年齢という平等な格差で並べているところにある。人は年を取る。どこかでオバサン(あるいはオジサン)になる。それが今なのか、これからなのかを試しているだけ。

いずれみんなそちら側(オバサン側)に行く定めなのだ。

 

以前、ラジオで聞いた話。

男性が年齢を感じるのは、まず「アスリートが年下になった時」が一番だったそうだ。

アンケートのやり方で全く違う結果にもなるだろう。ただ、肉体的にピークが過ぎ去っていくのは自分自身よりアスリートの方がシビアだ。衰えは即引退、失業につながる。そのアスリートより年が上になるということは自分も既に衰えている証となる。

このあたりは登山をやっているとやや楽観的だ。登山を始めるのはたいていが20歳過ぎてから。経験値の割合も大きいので、ピークはだいたい30代。

ただ、他のスポーツと大きな違いは命がかかっている点で、衰えは単なる引退でなく、人生からの引退となる可能性がある。天寿を全うする先鋭的なクライマーはここをどう乗り切るかがキーとなる。

それはともかく、登山ではピーク年齢といわゆる中年が重なるので、年齢を意識しないで済む。「30は若者、40や50はまだまだ、60でようやくおじちゃん」くらいの緩やかさなので、年齢に対して寛容になる。プロアスリートのように「引退」がないところもいいのかもしれない。

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あの時はよく歩けたなあという縦走

そうは言っても、人間は23から24歳をピークにして衰え続ける生き物である。先日、生物学者の小林武彦さんが言っていたから間違いないだろう。

ここのところ疲れが取れにくいし、以前のようにガツガツと登る意識も薄れた。今は山で12時間行動をできる自信がない。

その一方で、今はトレーニングが足りていないだけ。鍛えればまた元に戻ると考えているもう一人の自分がいて、今はその葛藤中である。

いつから中年になるか。それは若さを明確にイメージできるようになった時かもしれない。