会社の後輩がついにメタボ検診にかかったという。先日の健康診断で腹囲が85cmと測定され
「0.5cm負けてもらえませんか?」
とお願いされたものの、却下されたらしい。彼は身長183cmという偉丈夫でそれほど太って見えないのだが、コロナ自粛の間に腹周りに肉がついたという。
「美味しいものは太りやすいですねぇ」
と言って嘆いていた。
話は変わるが、今はカーボンオフや循環型社会の構築という言葉が企業において流行りとなっている。
カーボンオフを厳密に言えば息を止めないと実現しないわけで、企業なら全ての事業を止めて植林でもしなくてはならない。もちろんそんなことはできないので、カーボンオフで発電されたとされる割高な電気を買ったり、排出権という目に見えない権利を買ったりと、早い話がお金で解決するわけである。
いくら太陽光や地熱・水力で発電しようとも発電所を作るのにCO2を排出しないわけではない。CO2を吸収するのは植物だけ。人間が何かをすればどんなことでもCO2は排出される。カーボンオフセットを買っていても現実には別のところでCO2がどかどか排出され続けている。
まあ、こんなことに一々目くじらを立てていたらキリがない。偽善的とはいえ、その金が環境保護に使われればいいと考えるしかない。
しかし、やや釈然としないところが残る気がするのは私だけだろうか。
釈然としないところ。それは大半の企業、それに所属する人が本当の意味で自然破壊を憂いているわけではないことだ。
「今、取り組まないと10年で地球に住むことはできなくなります」
と本気で考えている人はいない。いるかもしれないけどあくまで少数派。だからこそカーボンオフセットという偽善にすがって満足できる。
一方でこれはダイエットに似ている。
「このままでは10年で死にます」
と言われれば文字通り死ぬ気で取り組む。それが「年を取るといろいろ大変になるよ」くらいでは「まあ気を付けよう」くらいになる。
さらに誰だったか「エコはセレブのファッション」と書いていた。カーボンオフもダイエットも見た目を気にしてやっている点は似ている。
現状は「やるとモテますよ」と言われているに近い。
ではどんなことをすれば本気で自然について考えるのか。
自然の中で遊ぶしかないと思う。遊び場が壊されれば本気になって考えるようになる。机上で地球が滅ぶとか言っていても大半の人間は「自分が生きているうちは大丈夫」と片付けてしまうのがオチなのだ。
真剣に遊べば自然を考えることにつながるということで私は日々遊ぶことばかりを考えている。