井の頭公園の池に童謡「ちいさい秋みつけた」の石碑がある。まだ一部しか染まってないが、確実に秋は近づいている。
山の紅葉は終わってしまったので、麓の紅葉。京都に行こうか、山梨周辺がいいか迷っている。
紅葉狩りの歴史は奈良、平安の頃に貴族が紅葉を見ながら宴したことから始まったという。庶民の中に広がったのは江戸時代から。そもそもお陰参りや熊野詣など旅行が一般化したのがその頃である。
それはまた都市化を象徴していると言えるだろう。今まで「そこにある自然」だったものをあえて愛でに行くのは都会に住む人だけなのだ。昨日、熊本から来たという後輩に会ったら、近所は職場のようで遊びに行く気がしないという。確かに私も広島の外れに住んでいた時はほとんど山に行かなかった。
善悪は別にして都会にいた方が自然のありがたみはわかる。自然を搾取し、コンクリートで固めてできた街だからだ。壊してみないとわからないというのが人間の残念なところである。
しかし、エアコンをガンガンかけた室内で環境保護を述べたり、机上でCO2排出量を計算するだけより紅葉狩りでもして自然を愛で、遊ぶ人間の方が環境保護には向いているような気がする。「自然」が生活にかかわる人は、それはそれで必死だが、裏を返すと生活に影響がなくなると無関心になるからだ。そして、自然が牙を剥くとき、自然の中の生活者は自然を憎むことがある。
自然と遊ぶくらいの距離感が最もいいのかもしれない。
今年もちいさい秋をみつけながら自然と遊びたい。