クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

哀愁のベッドタウン県~岐阜県、奈良県

今夏の旅では行きも帰りも岐阜県を縦断することとなった。

帰りは富山から新幹線に乗らず、高山本線に乗って岐阜市へ。高山を観光してみた。高山はしみじみとよかった。明治時代、高山は今の岐阜県ではなく高山県として独立していたらしい。それもあって、北陸、東海から独立した雰囲気がある。

その余韻を残しながら岐阜市に降り立ったのだが、こちらは普通の街だった。

旅の直前に奥田英朗のエッセイを読んでいたら岐阜県各務原市出身だった。旅の途中で朝井リョウのエッセイを買ったら岐阜県不破郡垂井町とのこと。

妙に岐阜づいている。

岐阜出身に共通するのは大都市名古屋に隣接した田舎ということ。名古屋の地価が高騰したので、ベッドタウンとして発展した。いわば名古屋の寝床である。名古屋には映画館もコンサートホールもなにもかも揃っているのに、岐阜にはない。

さらに海がない。関東では埼玉が妙に特徴のない県として揶揄されるが、海がないということが大きい。海の幸があれば、「どや!」と言えるのに、深谷ねぎではちょっと弱い。

岐阜はどうかと言うと、きくらげ日本一。これもインパクトに欠ける。そして岐阜駅の前には愛知県清州出身の金の織田信長像。

どうも哀愁の岐阜である。

岐阜について書いたが、これが関西なら奈良が同じ立ち位置になる。

奈良は古都で、岐阜とは違うではないかとお叱りを受けそうだが、奈良に育った私には同じである。

私が小学3年生で習った郷土史で最大の出来事は大阪と奈良を結ぶ生駒トンネル開通だった。従来、大都市大阪と奈良は隣接しながらも生駒山によって分断されていた。道は国道308号線で、暗峠を越えるとんでもない坂で有名なところだ。したがって、大阪の発展の恩恵を受けるのはせいぜい兵庫であり、奈良は都市化から取り残されていたのだ。

そんなわけで生駒トンネルは奈良県の悲願。数多くの落盤事故などを経て完成し、それによって奈良は古都ではなくベッドタウンとして生まれ変わることとなった。

 

しかしまあベッドタウンである。

岐阜も奈良もそれぞれ培った歴史はあるものの、最後の一押しが大都市の「寝床」というところが寂しい。

旅の最後に岐阜の街を歩いた私はつい奈良と同じ落ち着きとシンパシーを感じてしまった。