クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

台風を待ち望んでしまう

ことしもいよいよ台風シーズンとなった。

このところ7月、8月にも続々といらっしゃるようになったので、台風シーズンといつかわかりにくくなった。それでも9月の上陸数がやはり一番多いようだ。

子どもの頃、台風は1つのイベントだった気がする。「台風〇号が発生しました」というニュースが流れれば、経路を凝視する。ニュースキャスターが深刻な顔をして「心配ですね」などと言えばワクワクするという小学生は私だけでないはずだ。

今から50年も前は台風となると雨戸を釘で打って固定したりと大変だったようだ。

しかし一方で、それが父親を頼もしく見せたりという場にもなった。商店も台風接近とともに臨時休業にし、シャッターを閉めてしまう。街全体が台風モードに入るのである。

一方、田舎になると台風の後に流される魚を捕る漁もあったのだとか。水路を流れる魚を笊ですくったり、池から溢れて地面に取り残された魚を拾い集める。子どもにとっては夢のような展開だったらしい。

台風を心待ちにしていた話は昔になればなるほど多い。

 

今はどうかと言えば、気象そのものはより暴力的に、激しくなっている。ちょっと楽しい台風という感じがない。

そのわりに台風の日でも都市機能は比較的健全に動いている。健全に動かれると、今日は休みとは誰しも言いにくい。約束があれば雨が降ろうと取引先に訪問し、遅れが出て混み合う電車で出勤、帰宅する。

子どもの頃は警報が出れば休校だったのに、大人になると台風で休むのが不真面目のように扱われ、余計に疲れるだけなのだ。いっそのこと日本全国が停止してしまえばと思ったりしてしまう。

災害が嬉しいなどと言うと不謹慎だが、今でも街全体が止まるような台風を少し待ち望んでしまう自分がいる。