クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

読む力と書く力を付けるには

最近、いやここ数年他人の分の校正ばかりしている。

別に編集者ではないのだけど、「オイオイ!」と言いたくなるのを見つける度に修正する必要が出てしまうのだ。こういう時に文学部出身などとあげつらわれるので困る。

 

子どもの読解力低下という話が何年も出ている。

思い返せば私の幼少時代は「テレビばかり見て読書をしない」とか「新聞も読まない」と大人が嘆いていた気がする。

あと携帯電話が登場して手紙を出す習慣がなくなると「作文能力が...」となり、Eメールが普及しだすと「手書きの温もりがない」。LINEなどの短文でのやり取りに移行すると「チャットだと簡単な作文しかしない」と、どこまでも現状批判が続いた。

いろいろな調査によると現代人はかつてより文を読むのだそうだ。図書館での本の貸し出し数や古本の売上は上がっており、ネットでも何かしらの文字に触れている。

決してマスコミが伝えるように文字離れが進んでいないのだという。

しかし、日々「オイオイ!」という文にあたっていると、現代人は本当に読む力が落ちているように思えてしまう。

ツッコミを入れたくなる文の特徴は、部分的には成立しているように見えることにある。作文した本人は日本語として成立しているように見えるので、そのまま提出してしまう。よく読むとどこかで見たことのあるフレーズを継ぎはぎして作っているが、全体としてよくわからない。

あと前後のつながりを付けるのが苦手だ。接続語や指示語で前の文を受けることができない。複雑な話をするには短文でテンポよく説明する方がいいのだが、それができないので、長大な一文を作ってしまう。

読みにくいし、文を成立させるのはより難しくなる。

 

読む力、書く力を付けるにはどうしたらいいのか。先日、相方とご飯を食べながら話した。

相方曰く、不登校の子どもほど語彙が少なく、国語が苦手なんだという。

不登校だと話す機会が少ない。家族だと多くのことを「察して」しまうので、論理的に話す必要も薄れる。

それを聞くと私も思い当たる。「作文が苦手です」と言う人に限って、話も「察してくれ」という内容になりがちなのだ。

私なんぞは勘の悪い人間なので、「何言っているの?」と聞き返すのだが、わかったように相手をする人が多いと、そのままその内容を作文してしまうようだ。

どうやら読み書きの力は、活字に触れる機会の多さで決まるものでない気がする。

察せられない、鈍い人をいかに説得できるかのように思えるのだ。