クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

「若者の〇〇離れ」と少子化の進行

「若者の恋愛離れ」という言葉には気を付けろというネット記事があった。

要旨は「若者の恋愛離れということ自体は30年も前にマスコミが記事にしており、特に実態が変わっていると思えない。問題はそれを理由にして少子化対策を怠っていたことをごまかしていることだ」という内容だ。

なるほど面白い意見だ。

 

もはや若者ではなくなったが、私は「〇〇離れ」は結構当てはまっている。「車離れ」、「マイホーム離れ」、「テレビ離れ」、「コンビニ離れ」などなど。当てはまらないのは「旅行離れ」とか「アルコール離れ」か。

できるだけ自分の好きなことに金と時間を投入したいというのはいつの時代も不変の価値観だ。好きなことが時代とともに変化するのは当然のことで、「〇〇離れ」はかつて流行っていたものが廃れていっているに過ぎない。

わざわざ大騒ぎする必要があるだろうか。

例えば「映画離れ」というのもあった。私は家で(安く)見られるならわざわざ映画館に行かない。下手をすればYouTubeでやっているドキュメンタリーの方がクオリティは上なんていうこともある。この場合、「映画離れ」ではなく「Web配信人気」である。

物は言いようで、何かがかつての人気を失い、何かが代わって流行っているだけ。「○○離れ」で片を付けてしまっては営利企業として失格なのだ。

 

先の「恋愛離れ」の話に戻ると、統計的に未婚・晩婚化が進み、少子高齢化が進んでいる。

恋愛しないから未婚だというのはどうも短絡的だ。

思うに日本は結婚へのハードルが異様に高い。教会では「生涯この者を愛しますか?」などと言われ、神社では「生涯を共にします」と宣誓させられる。真面目な人は素直に受け取るし、恐ろしいことこの上ない。

私の周囲には結婚を迫られてそのまま従った人と逃げた人がいる。「恋愛離れ」という単純な話ではなく、結婚を取扱注意の爆弾のように扱い続ける旧来の価値観の方が少子化を進めているような気がするが、どうだろう?