クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

優秀な人材の見極めと就活面接

日経の「就活、静かに進む機会格差」という記事を見てしみじみとしてしまった。私は就活という意味では結構苦労した口で、最終的に内定をもらったのは1社。その1社に入社した。

ちょうどネットで募集が拡大した時期だったので、企業もエントリーだけで何千、何万人と集まるという状況だった。企業も学生も節操のない採用と受験合戦を繰り広げるのだから、内定辞退が大量に出るところもあったし、簡単に内定取消を出す企業もあった。

今もリクルートスーツを着て歩いている学生を見るとあの時の不安な気持ちを思い出してしまう。

記事の内容は、効率的な人材獲得のために企業側が学生にアプローチをするというものだ。これまでのようにWebエントリーで網を広げるだけでは逃げられたり、すぐに辞めてしまうケースが多い。

企業側からアプローチすることで、無事入社する学生を増やすことができる。少子化で若年層の確保が今後も難しくなる。これまでのように「入れてやる」という態度ではよほどの有名企業でないと人が集まらない。

その一方で、無名校で文学部・教育学部などは取り残され、機会格差が生まれるというのが記事の概要だ。

 

私自身は無名校と文学部という合わせ技で見事に苦労した。学生の本分は勉強だということで、サークルにも入っていなかったので、面接で話すことなどほとんどいない。

今考えると法律・経済・化学・地質学まで単位を取っていたのだから、それなりにPRできたと思うのだが、面接官が聞いてこないとどうしようもない。学術外のことばかりを聞かれているうちに、自分が中身のない薄っぺら人間に思えてきて、学生時代にもっと遊ぶべきだったと後悔していた。

学生が勉学に励んで何も悪いことはないのだが、当時は本気で悩んでしまった。

 

就活を終えて思ったことは、面接で優秀な人材を見極めるのは難しいということだ。面接官は自分の理解を超える人を採用できない。

我が弟のように、食卓でいきなり「シュレーディンガーの猫」の話を始める人間はコミュニケーション能力のない奴とみなされるのである。

野村克也が「チームは監督の力以上にならない」と言っていたが、人を見極めるという行為は、自分自身を秤にかける行為と変わらないものだと思ったりする。